ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
スポーツを通じた絆を、
競技を支える人たちのドラマを、
世界に誇る日本の文化や芸術を、
誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
さまざまな視点で切り取り、伝えていく。
ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2021.05.18

【対談】トップアスリートと室伏スポーツ庁長官との特別対談 「スポーツ庁長官 室伏広治のアスリート近影」 上地結衣選手(車いすテニス)編《前編》

※この動画は、令和3年3月に撮影したものです。

・運動好きな少女だった上地選手が、車いすテニスを始めたきっかけ
・初めてのパラリンピックは、楽しさばかりの大会だった
・リオの銅メダル~悔しさの残る試合と、応援してくれた方々に喜んでもらえた安堵と
・日本車いすテニス界の系譜~これから出てくる選手たちの身近な目標となる存在になりたい

新型コロナウイルス感染症の影響により、2020年はこれまでとは環境が大きく変わった1年になりました。その中において、トップアスリートたちは延期となった東京2020大会に向けた努力を重ねてきました。
東京2020大会での活躍が期待されるトップアスリートの言葉を通じて、競技やアスリート自身の魅力を再発見するとともに、スポーツがもたらす前向きな力を発信していくため、室伏スポーツ庁長官との対談動画をシリーズで公開します。
今回は、上地結衣選手(車いすテニス)です。

運動好きな少女だった上地選手が、車いすテニスを始めたきっかけ

櫻木
室伏スポーツ庁長官とトップアスリートの対談企画。今回は、車いすテニスの上地結衣選手にお越しいただきました。よろしくお願いいたします。

上地
よろしくお願いします。

室伏
お願いします。

櫻木
上地選手は、高校生のときに行われた2012年のロンドンパラリンピックに出場し、シングルス・ダブルスともにベスト8に進出。2016年のリオパラリンピックでは、日本人選手としてこの種目初のメダルとなる、女子シングルス銅メダルを獲得されました。数多くの主要大会で優勝を含む好成績を収め、今年の東京パラリンピックでは、金メダル獲得にも期待がかかります。
それでは早速、上地選手に色々とお話を伺っていきたいと思うんですけれども、この車いすテニスという競技とは、いつ、どのようにして出会われたんでしょうか。

上地
はい。わたしはですね、生まれつきの障害で、二分脊椎症という障害なんですけれども、小さい頃から本当に身体を動かすことが好きだったので、得意な科目は、と言われると、できないことはすごく多かったんですけれども体育が一番好きでした。なので、本当に休み時間になると外に遊びに行っていたんですけれども、やはり成長とともに障害が進んでいって、なかなか、当時は歩けていたところが歩きづらくなって、車いすを使用しなければならないっていう風になったときに、少しやっぱり気持ちが内向きになったというか、室内にこもるようなことが多くて。
それを見ていた両親が、何か車いすでもできるスポーツを、っていう風に思ってくれたことがきっかけで、一番最初は車いすバスケを始めたんですね。バスケットもすごく楽しくて、大人の方たちの中に混ぜてもらってやらせてもらっていたので、難しい部分もたくさんあったんですけれども、4歳離れた姉がいまして、姉が中学校の部活動で軟式テニス部に入部したことがきっかけで、「わたしもお姉ちゃんと一緒にテニスがやりたい」っていうことで、車いすテニスを始めました。
テニスっていうのは、体格とかパワーとかっていうものは、もちろん影響するんですけれども、ネットを挟んでするスポーツなので、大人の方とでも、自分が頑張ってボールを相手コートにさえ返すことができたら戦い合えるっていう、良くも悪くも自分次第っていうところにすごく魅力を感じて、どんどん楽しくなって、「もっと強くなりたい」、「もっとこの人に勝ちたい」とかっていう目標が次々に出ていって、いつの間にか本当にお仕事にまでなっているなっていう感じですね。

室伏
車いすバスケされていたんですね。

上地
そうですね。今もバスケットはしたくなります。テニスのプレースタイルとして、しっかり長いラリーをものにするっていうのがわたしのスタイルなんですけれども、それにはやはり車いす操作だったりっていうところが、すごくテニスと同じくらい重要になるんですけれども、そのテニスの車いす操作っていうのは、わたしは恐らくバスケットで学んだと思うので。

室伏
あ、そうですか。

上地
はい。やはり相手選手をかわす俊敏さだったりだとか、ボールの行き来があるので、それを予測したりとかっていうところっていうのは、そこがすごく生きていると思います。

室伏
素晴らしいですね。いろんな他のところから、また生かされているっていうことで。テニス一本で来たんじゃなくて。それは素晴らしい話です。

初めてのパラリンピックは、楽しさばかりの大会だった

櫻木
上地選手、若くして頭角を現されたということなんですけれども、最初のパラリンピック出場が高校生のときのロンドン大会だということで。

上地
そうですね。

櫻木
高校生での大舞台、いま振り返ってみて、いかがでしたか。

上地
そうですね。わたしはあまり緊張しないタイプ、わりと本番に強いタイプだっていうふうに自分でも思っていたんですけれども、1回戦はすごくやっぱり緊張して、手が震えていたのを覚えていますし、でも、すごく楽しかったですね。もちろんベスト8まで行くことができたっていううれしさもあり、ベスト8で負けたっていう悔しさもどちらもあったんですけれども、負けてもすごく楽しくて、負けた試合でも、すごく笑いながら試合をしている写真ばっかり残っているんですね、2012年の大会は。なので、今思い返しても、やっぱり楽しかったなっていうふうに思いますし、そこが自分にとってのターニングポイントになったと思いますね。

室伏
応援の仕方も違いますよね、国によって。

上地
違います。

室伏
勝ったり負けたりというのもあるけども、どちらであっても応援してもらって、気持ちいいですよね。

上地
はい、そうですね。特にイギリスは、テニスのすごく長い歴史もありますし、言っていただいたように、見方がすごくお上手で、皆さん。

室伏
よく知ってますからね。

上地
はい、なので、本当に、自国の選手じゃないわたしが決めたときでも、本当に皆さんすごく拍手をしてくれたりとか、声をかけてくれたりとか、スポーツを盛り上げるというか。選手を高めてくれる、すごく温かい目で観てくださっているなというふうには感じました。

リオの銅メダル~悔しさの残る試合と、応援してくれた方々に喜んでもらえた安堵と

櫻木
ロンドンに続いて、リオの大会は、2度目ということでいかがでしたか。

上地
そうですね。リオ大会は、ロンドンのときに女子の金メダルマッチを観て「あぁ、メダルを獲ることってすごいことなんだな」っていうふうに思ったのと、そのあとに国枝選手(国枝慎吾:2004年アテネ大会男子ダブルス、2008年北京大会・2012年ロンドン大会男子シングルスの金メダリスト)が、実際に金メダルを獲られてる姿を観て、全然そんなに簡単なものではないんですけど、素直に「良いな」って思ったんですよね。「うらやましいな。あそこに立てるってすごくうらやましいな」って思って。わたしは、18歳っていう年齢もあって、高校卒業のタイミングだったので、ちょっとテニスは置いておいて別のことを、お勉強だったりだとか就職だったりとか、何か他のことをやりたいなっていう気持ちもあったんですけれども、やっぱりその気持ちを戻して、テニスにやっぱりっていう風に思わせてくれたロンドンパラリンピックだったので。やるからには、やっぱり何かと並行してやるっていうのは、わたしの選択肢のなかにはなくて、もしリオを目指すのであれば、もうテニス一本でやりたいっていうふうな決断をしたので、もちろん、金メダルっていうものを目指して4年間戦ってきましたし、コーチと二人三脚、それから、周りで支えてくださっている方たちと一緒に取り組んできた結果、残念ながら、銅メダルということだったので。なんていうんでしょうね、ロンドンがすごく楽しい大会だったっていうふうに表すなら、リオは悔しさばかりの大会でしたね。ただ、やっぱり、自分が日本にメダルを持ち帰ったときに、触ってもらって見てもらって、皆さんがすごく喜んでくださって「あぁ、よかったね」って言ってくださって、初めて「あっ、みんなにメダルを見せられてよかったな」って。自分の試合は、もうすごく不甲斐なくて、悔いが残る試合ばっかりだったんですけど、でも、皆さんの喜んでいる顔を見て、獲ってよかったなっていうふうにほっとしました。

室伏
みんな、応援してますからね。

上地
そうですね。

日本車いすテニス界の系譜~これから出てくる選手たちの身近な目標となる存在になりたい

室伏
車いすテニスでは、国枝選手が随分長く競技で活躍されていて、女子もやっぱり、日本の選手がこうやって活躍しているってことですけれども、何かその要因ってあるんですか。日本の強みっていうのは。

上地
女子の中では、オランダがすごく強豪国っていうふうに言われていまして、活躍する選手がいるから始めたいと思う選手もいて、そういった裾野が広がっていって、どんどんスキルアップというか、レベルアップがされてきたんだろうなっていう風に思うんですけれども、やはり、日本もそういう意味では、国枝選手や齋田選手(齋田悟司:1996年アトランタ大会から2016年リオ大会まで6大会連続パラリンピック出場。2004年アテネ大会では、国枝選手と組んだ男子ダブルスで金メダル獲得)のような方たちが、どんどん海外に行ってくださったから、わたしたちが続けたっていう風に思うので。やっぱり、なんていうか、憧れの選手の存在っていうのは大きいんだなって。わたしが初めて国際大会に出場したとき、すでに国枝選手はナンバー1だったので。その背中を追いかけさせてもらえるっていうのは、すごく光栄だなっていう風に思いますし、今グランドスラムで一緒の舞台で戦えるっていうのは、すごく自分にとっても誇りですし、身近にいるんですけれどもやっぱり常に憧れの存在っていうか、先を行ってくださるというか。

室伏
きっと、上地選手に続く選手もいるでしょうね。

上地
そうですね、はい。いつも思っているんですけれども、わたし、国枝選手と10歳離れていて、なので、これから始めてくれる子たちも、みんなの憧れは、一番はやっぱり国枝選手がいいっていう風にわたしは思っていて。で、わたしは、そこにいくまでに、やっぱりすごく長い距離があるっていうふうにみんな感じると思うので、その間にわたしはいられたら良いなって。なんか、国枝選手まではいけなくても、わたしぐらいならいけるかなっていうような、身近な存在に感じてもらえたらなっていうふうに思います。

→→→上地選手との対談 後編はこちら!

【プロフィール】
上地 結衣(かみじ・ゆい)
先天性の潜在性二分脊椎症で成長とともに歩行が困難となり、11歳のときに車いすテニスを始める。2012年、高校3年生でロンドンパラリンピックに出場し、シングルス・ダブルスともにベスト8進出。2014年の全仏オープンでグランドスラムのシングルス初優勝。同年5月には、初めて世界ランキング1位を記録した。2016年のリオデジャネイロパラリンピックでは、シングルスで、この種目日本人初のメダルとなる銅メダルを獲得。直近に行われた2021年2月の全豪オープンでは準優勝し、東京パラリンピックでの金メダル獲得にも大きな期待がかかる。


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