ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
スポーツを通じた絆を、
競技を支える人たちのドラマを、
世界に誇る日本の文化や芸術を、
誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
さまざまな視点で切り取り、伝えていく。
ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2017.12.28

聖火に託した"平和への願い" 東京 羽田空港

1964年、東京オリンピック開会式で国立競技場の聖火台に灯された聖火は、およそ2か月かけアテネから沖縄へと届けられました。その一大プロジェクトを担ったのが、日本航空の聖火空輸特別機「シティ・オブ・トウキョウ」。

乗組員は15名。1万5508kmの空の旅でした。

アテネ(8/22) → イスタンブール → ベイルート → テヘラン → ラホール → ニューデリー → ラングーン → バンコク → クアラルンプール → マニラ → 香港 → 台北 → 沖縄(9/7)



航空機関士(フライトエンジニア)佐藤卓三さん(当時30歳)

佐藤卓三さん

日本航空の格納庫に当時の制服を着て現れたのは「シティ・オブ・トウキョウ号(聖火空輸特別機DC―6B)」の乗組員、佐藤卓三さん。
手には、当時の写真やパスポートなど。いまでも大事に保管しているんだそうです。佐藤さんはフライトエンジニアとしてエンジンに送る燃料のコントロールや着陸装置といった油圧系統の操作を担いました。「戦後19年経ち、聖火を運ぶことができる平和な時代がやってきたんだと感じた」と当時を振り返ってくれました。佐藤さんは、戦争中に幼少期を過ごしました。家にも焼夷弾が落ちてきたり、母親と戦火の中を逃げ回った記憶もあるそうです。平和だからこそできる東京オリンピックに思いをはせ、「私たちが運んできた小さな火が、大きな聖火台の上で燃え上がるのは素晴らしいと感じました。また、平和の火を運ぶ仕事に就けたことを嬉しく、誇りに感じた」と話していました。

客室乗務員(パーサー)横尾政夫さん(当時29歳)

横尾政夫さん

横尾政夫さんは、客室乗務員として機内で聖火を見守りました。印象的だったのは、沖縄・那覇空港でのひとこま。「4千人もの大観衆が聖火を出迎えようと空港に押し寄せていました。屋上にも人があふれ、日の丸の旗を振り回し、みな涙を流しながら大歓迎してくれたのです」と話して頂きました。アメリカの統治下にあった当時の沖縄は、日の丸を掲げることが許されない状況でした。それでも横尾さんは「聖火を通して、沖縄の皆さんの気持ちが日本に返った一瞬だったのでは」と感じたのだそうです。聖火を日本に届けたあと、開会式の日は仕事でバンコクにいたという横尾さん。「2020年の東京オリンピックは、できることなら会場で開会式を見たい。そして、これまでの経験で培った英語やおもてなしの心を生かしてボランティアをしたい」とも話してくれました。

佐藤さんと横尾さんが共に繰り返し語ってくれたこと、それは1964年の東京大会が戦後19年経って復興を遂げつつある中で開催された「平和を願う祭典」だったということ。

佐藤卓三さん
横尾政夫さん



「シティ・オフ・トウキョウ号」で日本に届けられた聖火は平和への願いとともに日本各地をリレーし、全国の人々に笑顔で迎えられました。

聖火リレー沿道

(撮影・文)報道局映像取材部カメラマン 富野要太



この記事は、サンデースポーツのコーナー「夢、ここで」に関連して制作したものです。http://www.nhk.or.jp/tokyo2020/experience/legacy/volumes/12.html


NHK
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