ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
スポーツを通じた絆を、
競技を支える人たちのドラマを、
世界に誇る日本の文化や芸術を、
誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
さまざまな視点で切り取り、伝えていく。
ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2018.02.07

五輪代表を逃しても 広島 広島市

1964年・東京オリンピック。サッカー日本代表は準々決勝まで進み、日本中の視線が選手の活躍に集まりました。この熱狂の裏側で、目前に代表入りを逃し夢の舞台に立てなかった選手がいました。オリンピック後、この悔しさを乗り越え、その後のサッカー人生で大きな栄光をつかみます。
支えたのは「己に負けない」という強い信念でした。

■サッカー元日本代表・小澤通宏さん(当時31歳)

「こんにちは。どうぞ上がってください」。すっと伸びた背筋と紳士的でやさしい雰囲気。小澤さんにはじめて会ったときの印象です。
広島市在住の小澤通宏さんは、高校から本格的にサッカーをはじめ、大学卒業後に広島の東洋工業(現在のサンフレッチェ広島)に入社。

日本代表時代の小澤さん

実力が認められ、23歳のときに日本代表でデビューします。1950~60年代におもにディフェンダーとして活躍、1956年のメルボルン・オリンピック代表にも選ばれ、代表通算95試合に出場しました。

■まさかの代表落選

31歳で迎えた1964年。自国開催で盛り上がりを見せるなか、小澤さんは大会直前までキャプテンとしてチームを率いていました。小澤さんは、この大会をサッカー人生の集大成と捉えており、「キャプテンとして日本チームをどう勝利に導くか、結果を出さなくてはいけないという重圧を感じていた。」と当時を振り返っていました。
しかし、開幕まで1か月に迫った9月。代表メンバー発表を告げるニュースで小澤さんの名前は読み上げられませんでした。東京オリンピックのピッチに立って結果を残すという夢を果たすことはできなかったのです。
小澤さんはオリンピックでテレビ解説を要請され、日本の初戦となったアルゼンチン戦を担当しました。複雑な気持ちで試合を見守るなか、日本代表は強豪を相手に奮闘し勝利します。小澤さんはこの勝利に感激し、控え室に駆け込んで仲間たちをたたえたことをいまでもよく覚えているといいます。強豪相手に立ち向かう仲間の姿が、再び小澤さんを奮い立たせました。

■悔しさを乗り越えつかんだ栄冠

仲間の雄姿に励まされた小澤さんは、オリンピック後「自分はまだ終わったわけじゃない。まだやれる」と決意を新たにしました。所属チーム・東洋工業に戻って猛練習に励み、キャプテンとしてチームを引っ張り、オリンピックの翌年から始まった日本リーグや天皇杯で日本一に導きました。挫折を乗り越えつかみ取った栄冠でした。
小澤さんの成功の裏には大切にしている信念がありました。それは、「己に負けない」という気持ちです。小澤さんは「サッカーは相手がいるスポーツだが、まずは自分に勝つことが何より大事。自分の弱い心に勝たないといけない」と話します。逃げ出したくなる苦難のときこそ正面から向き合って打ち勝っていくと自分に言い聞かせたのです。

■次の世代へ向けて

小澤さんは34歳で現役を引退。その後、会社勤めをしながら広島でサッカースクールを立ち上げました。およそ40年間で教え子は2000人を越え、プロ選手も輩出しています。小澤さんはいまでも練習に顔を出し、子ども達が懸命にボールを追う姿を、優しいまなざしで見守っています。

最後に小澤さんは、2020年の東京オリンピックを目指す若い人たちに対して次のように話しました。「一生懸命やっても報われないというつらい思いをする人が、この先も出ると思う。しかしどんな時でも自分に負けず、次巻き返すような強い気持ちを持ってほしい。」このオリンピック落選の悔しさを乗り越えた小澤さんの言葉は、スポーツだけでなく、わたしたちの生き方にも通じる熱いメッセージだと感じました。

(撮影・文)広島映像取材 梶谷匡

この記事は、サンデースポーツのコーナー「夢、ここで」に関連して制作したものです。http://www.nhk.or.jp/tokyo2020/experience/legacy/volumes/14.html


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メダルを目指して厳しい練習を重ねるアスリート、選手を支える大勢の人々。 東京2020は、様々な人たちがたくさんのドラマを繰り広げる、世界スポーツの祭典です。 「⇒2020」は、一人ひとりの未来への挑戦を応援します。