ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
スポーツを通じた絆を、
競技を支える人たちのドラマを、
世界に誇る日本の文化や芸術を、
誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
さまざまな視点で切り取り、伝えていく。
ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2018.07.24

メダル運んだ"ミス・メダル" 

メダル運んだ"ミス・メダル"

1964年、東京オリンピックの表彰式でメダルを表彰台まで運ぶ女性たちがいました。
着物をまとい優雅にメダルを運ぶ姿から「ミス・メダル」と呼ばれ注目を浴びました。

メダルを運ぶミス・メダルたち

ミス・メダル 親子で支えた東京五輪

小池和子さん(当時22歳)

1964年東京オリンピックの陸上競技では大会を盛り上げようと大会関係者の妻や娘たち、元選手などおよそ20名の女性たちが表彰補助員に選ばれました。

小池和子さん(取材当時76歳)

当時、都内の大学に通っていた小池和子さんは、父親が陸上競技日本代表のヘッドコーチを務めていたことから声がかかったといいます。
東京オリンピックを親子で支えることになったのです。

成功のため、繰り返した特訓

礼儀作法の特訓

メダルを運ぶ練習はオリンピックのおよそ1年前から始まりました。日本舞踊の先生に指導を受け、お盆を持ちながら女性らしく美しく歩くことを徹底されました。小池さんは、それまで着物を着る機会が少なかったため、最初はまっすぐ前に進むことすら難しかったそうです。さらに、競技場の中には土や砂があるため、つまずきそうになることも。「とにかくオリンピックを成功させたい」一心だったと当時を振り返っていました。

緊張を忘れるほどの感動

1964東京五輪・円谷がゴール

10月21日、陸上競技最終種目のマラソンがスタートしました。この日まで陸上競技で日本のメダル獲得数は0個。国立競技場で日本選手のメダル獲得を祈りながら待機していた小池さんは、自分の出番が近づくにつれ緊張感が高まっていました。

1964東京五輪・円谷選手

スタートからおよそ2時間、円谷幸吉選手が2番目に競技場に入ってきましたが、すぐ後ろにはイギリスのヒートリー選手が迫っていました。「円谷!頑張れ!!」小池さんは着物姿であることも忘れ、夢中で駆け出し、大声で応援しました。結果は銅メダル。それでも陸上競技で念願の初メダル獲得に日本中が歓喜しました。"その瞬間"に立ち会えた感動を小池さんは一生忘れられないといいます。

そして迎えた表彰式。直前までの緊張感はうれしさのあまり忘れてしまい、何も気にせず笑顔でメダルを運んだといいます。「金メダル」の担当だった小池さんは、私にこっそり「内心は円谷選手にあげたかった・・・」と胸の内を明かしてくれました。

2020 未来のミス・メダルへ

小池さんはその後、父・田島直人の功績をたたえた山口の陸上競技大会に役員として参加してきました。小池さんは、今も東京五輪に参加できたことの感動や競技を陰で支える心構えなどを若い補助員に伝えています。私が取材を通じて最も印象に残ったのが「当時のオリンピックに関わっていた人たちは純粋に懸命に大会を思って行動していた」という小池さんの言葉でした。
東京五輪の成功は、選手や役員だけでなく関わったすべての人の思いが一つになった結果だと改めて気づかされました。

(撮影・文)山口局映像取材 末廣航

この記事は、サンデースポーツのコーナー「夢、ここで」に関連して制作したものです。
http://www.nhk.or.jp/tokyo2020/experience/legacy/volumes/19.html


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メダルを目指して厳しい練習を重ねるアスリート、選手を支える大勢の人々。 東京2020は、様々な人たちがたくさんのドラマを繰り広げる、世界スポーツの祭典です。 「⇒2020」は、一人ひとりの未来への挑戦を応援します。