ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
スポーツを通じた絆を、
競技を支える人たちのドラマを、
世界に誇る日本の文化や芸術を、
誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
さまざまな視点で切り取り、伝えていく。
ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2018.08.24

車いす作りへの情熱 東京 西東京市・千葉 千葉市

1964年、東京パラリンピックの車いす卓球に出場した長谷川雅巳さんは、海外から取り寄せた金属製の車いすで大会に参加しました。その後、パラアスリートたちが使う車いすを作る企業が次々に誕生。競技ごとに進化を遂げる車いす。選手が使いやすい車いすを作り続けるためには、ある努力が必要でした。

体格に合わなかった既製品の車いす

1964年東京パラリンピックに出場した長谷川雅巳さん(取材当時82才)。車いす卓球に出場し、1回戦はオーストラリアの選手に勝利。2回戦に進みました。しかし、2回戦でイスラエルの選手に敗れました。

木製の車いすにのる長谷川さん(当時28歳)

長谷川さんは、大会前は当時日常生活で使われていた木製の車いすを使っていました。長谷川さんのもとに大会に参加するための金属製の車いすが届いたのは、開幕の半年前でした。海外から取り寄せた既製品で体格に合わず、最後まで慣れなかったと長谷川さんは話します。

車いす製造会社を設立した後藤章夫さん

大会に参加した選手たちと交流があった後藤章夫さん(取材当時81才)は、一人一人の体にあった車いす作りのために1966年に車いす製造会社を設立しました。脱サラして始めた車いす作りに、その後半世紀近い人生を捧げました。後藤さんは大会に参加した人たちを頻繁にたずね、要望を聞きながら製品に反映させていきました。

後藤さんが手がけた車いすで、100人を超える選手がパラリンピックに出場し、5人のメダリストが生まれました。

2020東京パラリンピックは二人三脚で

千葉市にある車いすメーカーに所属する小澤徹さん(取材当時48才)は、20年近く国内外のトップアスリートの車いすを手がけています。

小澤徹さん

小澤さんは選手が求めている車いすを作るために選手とのコミュニケーションを大切にしています。特に小澤さんが大事にしているのは大会直後の選手の感覚です。会場に足を運んでその場で選手から聞き取り、選手の要望に応えるためミリ単位で車いすの調整を行っています。「車いす作りにゴールはない」と小澤さんは言います。小澤さんが手がける車いすを使うトップアスリートの一人、樋口政幸選手。樋口さんはリオパラリンピック陸上5000 mで4位入賞を果たしました。樋口政幸選手は、「自分たちが思いつく以上のことをやってくれている。乗り物に負けないパフォーマンスを発揮したい」と話します。

(撮影・文)報道局映像取材部 藤田大樹


NHK
Tokyo2020 NHK情報サイト

メダルを目指して厳しい練習を重ねるアスリート、選手を支える大勢の人々。東京2020は、様々な人たちがたくさんのドラマを繰り広げる、世界スポーツの祭典です。と同時に、日本にとっては、新しい時代へのスタートラインでもあります。どんな自分になりたいですか?どんな社会でありたいですか?「⇒2020」は、一人ひとりの未来への挑戦を応援します。