ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
スポーツを通じた絆を、
競技を支える人たちのドラマを、
世界に誇る日本の文化や芸術を、
誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
さまざまな視点で切り取り、伝えていく。
ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2018.08.22

日本パラリンピックの父 大分 別府市

1964年東京大会は日本が初めてパラリンピックに参加した大会です。"日本パラリンピックの父"と呼ばれる中村医師は、閉じこもりがちだった障害者の意識を変えるため大会の開催に力を尽くしました。

人生を障害者スポーツに尽くした中村裕医師

パラリンピックの父と呼ばれた中村裕医師

1964年東京大会は日本が初めてパラリンピックに参加した大会です。"日本パラリンピックの父"と呼ばれる中村裕医師は、閉じこもりがちだった障害者の意識を変えるため大会の開催に力を尽くしました。息子、中村太郎さんは「当時は障害者スポーツへの理解は少なく、社会や医療界からも批判的な声ばかりでした。東京パラリンピックを何としてでも開催して、障害者スポーツを定着させたかったと思います」と話します。

中村医師を"人生の原点"と話す 須崎勝巳さん

須崎勝巳さん(取材当時76才)

須崎勝巳さんは20才の時に事故で脊椎を損傷し、下半身まひになりました。生きる気力を失いかけていた22才の時、中村医師の誘いで東京パラリンピックに出場。
車いすバスケットボールや陸上車いすスラローム、水泳など6種目に参加しました。

東京大会での須崎さん

須崎さんは参加賞としてもらったカレンダーやメダルを大事に保管しています。
中でも大切にしているのがブローチです。

東京大会参加賞のブローチ

そのブローチの裏には"全力をつくして悔いなし"という文字が彫られています。その言葉がその後の須崎さんの心の支えになっていったそうです。
その後、須崎さんは地元・大分で車いすバスケットボールチームの立ち上げに参加し、普及につとめました。
「パラリンピックがなかったら社会復帰できたかどうかわからない。人生の原点は中村先生です」と須崎さんは言います。

中村医師の遺志を継ぎ、2020年の出場を目指す 城隆志さん

城隆志さん(取材当時58才)

中村医師は東京パラリンピック開催の翌年に障害者の自立を支援する施設を創設しました。現在その施設で資料館の案内や広報の仕事をしている城隆志さんは、パワーリフティング65kg級の日本記録保持者。働きながらトレーニングを積んでいます。

パワーリフティングの練習をする城さん

城さんは「スポーツをこれだけやれるから何でもできる可能性がある、と中村先生は伝えたかった」と話します。中村医師の思いを胸に、2020年の出場を目指しています。

(撮影・文)報道局映像取材部カメラマン 藤田大樹


NHK
NHK 東京2020オリンピック・パラリンピックサイト

メダルを目指して厳しい練習を重ねるアスリート、選手を支える大勢の人々。 東京2020は、様々な人たちがたくさんのドラマを繰り広げる、世界スポーツの祭典です。 「⇒2020」は、一人ひとりの未来への挑戦を応援します。