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2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
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ここでの出会いと発見を、
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東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2017.09.27

藤井郁美「無敵の、車いすバスケ人生」

Tokyo2020 NHK情報サイト「パラスポーツ情報」に連載しているスポーツライター・宮崎恵理さんのコラムです。(2017/9/27掲載)

9月中旬の仙台は秋模様だ。昼間の日差しはまだまだ強いが、日が沈むと途端に空気がひんやり肌にしみる。
木曜日。夜6時の体育館に、宮城県内だけでなく県外からも選手が集まってくる。車いすバスケットボールチーム<宮城MAX>の練習日だ。早めに到着した者から準備を始める。バスケ車に乗り込んでシュート練習やコートサイドの走り込みなど、思い思いにウォーミングアップにとりかかる。

そんなメンバーの中に、藤井郁美がいる。今年(2017年)5月、女子出場のルールが初めて適用された日本選手権で全試合に出場し、準決勝で18得点、決勝でも13得点を挙げて宮城MAXの大会9連覇に貢献した。女子日本代表として2008年の北京パラリンピックに初出場し4位。日本代表のエースとして、宮城MAXの要として、藤井は確かな存在感を見せている。

藤井はいつも、夫でやはり車いすバスケ選手の新悟、愛息・蒼空(そら)ちゃんと一緒に練習場の体育館に姿を見せる。蒼空ちゃんは、チームのアイドルだ。手の空いたスタッフが遊び相手になりお弁当を食べさせながら、蒼空ちゃんは2人の練習が終わるまで体育館で過ごす。バスケ車のタイヤの軋み音に混じって蒼空ちゃんのはしゃぐ声がこだますると、つかの間トレーニングの場が和む。

この日、藤井は一人、別メニューをこなす予定だった。しかし、円陣を組んでチーム練習が始まると、他の選手と同じハードな練習に参加した。岩佐義明監督やベテラン選手らが「無理はしていないか、大丈夫なのか」と、藤井の姿を見つめる。藤井は、そんな視線を意に介さず、黙々と汗を流し続けていた。

藤井は、数週間前に手術をしたばかりだ。
乳がん治療の手術だった。

■全員バスケを貫く思いやりのパス

藤井郁美は、神奈川県で生まれ育ち、兄の影響で小学3年からミニバスケットボールを始めた。中学でもバスケ部に所属してバスケ漬けの毎日を送りバスケットボールでの高校進学も決まっていた。卒業を目前に控えた時期に右足の骨肉腫が見つかる。ひざ関節と大腿骨の一部を腫瘍と一緒に切除する手術を受けた。歩行は可能だが、走ることはできない。

高校時代、マネジャーとして所属していたバスケットボール部の顧問が車いすバスケの監督を兼任していたことがきっかけで横浜のクラブチームでプレーを始めた。
「日常生活で車いすを使っていないから車いす操作もわからない。初めはフリースローがリングに届かず、面白くない、という印象でした」
しかし、何度か練習に通ううちに病気でいったんは諦めていた選手としてコートに立つ可能性を感じて、夢中になっていったという。選手の障害の程度によって設定される『持ち点』、藤井の持ち点は、4.0である。

「小・中学校時代の私は、バスケでは強力な自己チューだったと思います。なんで私が出したパスで決めないのよ、みたいな。自分が得点に走るより絶妙なパスを出して味方が決めるプレーに美学を感じていたんですね」

現在も、そのスタイルは変わらない。変わったのは、考え方だ。
「ローポインターの選手に出した1本のパスで、そのローポインターが決めてくれるのは、やっぱりすごく興奮します」

1人のハイポインターだけが得点を担うという戦い方ではない。世界の強豪は、一般のバスケ同様、5人全員が活躍する戦術を展開する。
「2オン2の全員がローポインターということも当たり前。5人がどこからでもシュートを打ってくる」
藤井は、車いすバスケを始めた当初からこのスタイルを目指してきた。だからこそ、スピードのある展開の中で、パスを効率よく通してローポインターが決めるのはゾクゾクするほど嬉しいのだという。
「今は、思いやりのパスかな」
一般のバスケ経験とプレースタイルを、藤井は車いすバスケで進化させてきたのだ。

■ロンドンパラリンピック出場権を逃して

北京パラリンピックに初出場し、2度目となるロンドンパラリンピックでは必ずメダルを獲得する。その目標に向かってトレーニングを続け、前年の2011年にパラリンピック出場権がかかったアジア・オセアニア選手権に出場した。が、日本女子は中国に敗北を喫し出場権を逃したのだった。
「自分自身は心身ともにベストな状態で臨んだ大会だったんです。自信もあった、負けるはずなんかないって」

北京パラリンピックでも中国を相手に勝利し、このアジア・オセアニア選手権までは負けたことがない。
「...油断、驕りなんでしょうか。あれ、あれって言っているうちに負けてしまって」
目の前からロンドンパラという大きな目標が消えてなくなった。

その後、藤井は結婚、蒼空ちゃんを出産した。
「本当なら、ロンドンパラに出場してメダルを獲得して、それから結婚も出産も、という夢を描いていました。プランの最初でつまずいちゃいましたね」
プライベートでの変化はあったが、藤井はバスケの練習を継続していた。
「ロンドンの悔しさが、時間を経ても消えない。ずっとくすぶっていました」
その悔しさを持って、4年後にリオ予選に臨む。しかし、アジアは、世界はさらにレベルアップしていた。再び、パラリンピック出場権を逃す。かつてはパラリンピックで銅メダルを獲得した日本女子の歴史が2大会も閉ざされてしまうことになった。

ロンドン予選の年。藤井は、東日本大震災で被災している。就業中に大きな揺れに襲われ、オフィスで女性社員たちの悲鳴が上がった。当時、すでに一緒に暮らしていた新悟との自宅はマンションの2階にあった。車いすユーザーの新悟はエレベーターが動かなければ外出ができない。ライフラインが復旧するまで、藤井が給水所に通った。宮城MAXの岩佐監督の自宅は基礎から津波に流されたが、チームメンバーは全員無事だった。練習場所の体育館は損壊し、あるいは避難施設となり使用できなくなった。

震災から2か月が経ち、山形県の体育館が宮城MAXの練習場所を提供してくれることになった。誰もが被災者で、生活もままならない。それでも、限られた練習時間を惜しむかのように、宮城MAXのメンバーは練習に没頭した。
「被災したから、ロンドンの出場権を逃したわけじゃない」
宮城MAXには男子日本代表選手が多く在籍する。男子はロンドンの出場権を獲得。しかも、翌年に開催された日本選手権で宮城MAXは大会4連覇を達成したのだった。

■チーム"藤井"で乗り越えていく

左:藤井郁美選手、中:藤井新悟選手

病気で障害を負い、東日本大震災で被災。そして、今回の病気の発見と手術。たった一つでも大きな人生の試練に、何度も遭遇して生きてきた。
「今回の病気が悪性だと告げられた時に、正直、まだ足りないの? まだ何か修行をしなくてはいけないの?って、新悟と初めて神様を恨みました」

今年10月には、来年ドイツで開催される世界選手権の予選がある。だから、手術のスケジュールを予選に間に合わせられる日程で組んでもらった。慌ただしく準備をして手術室に向かうまではただただ必死だったが、無事に手術が終わってからむしろ精神的なダメージが大きくのしかかったという。
「正直バスケに向かう気持ちにならない。MAXのメンバーはもちろん代表チームの監督やスタッフも、みんな理解してくれて、私がやる気になるのを気長に待っていてくれる」

憔悴しきった状態のまま、退院してすぐに新悟と蒼空ちゃんとともにいつものように練習に出かけた。
体育館の匂い。ボールとバスケ車の感触。残響。
「一人、ボールに触っているうちにやっぱりもう少しやってみようか、やりたいという気持ちが戻ってきたんですね」
車いすバスケの選手として宮城MAXでも、代表チームでも活躍する郁美と新悟夫妻。
「自宅でもバスケの話をして録画した映像を見て、また話をして。私がバスケを離れたら、きっと新悟のモチベーションもガクッと下がってしまう。新悟のためにもバスケを再開させようって思いました」

術後の精神状態の中で、そんな考えを持てたことが前進だと感じられた。
「新悟と蒼空がいるから、そういう気持ちになれた。チーム"藤井"なんですよね」

2度、パラリンピックを逃した女子日本代表は、月1度の合宿を通じ徹底的にフィジカルを強化してきた。今年、少しずつその成果が出始めたと藤井は感じている。
「基礎体力が向上してきて本当の意味で40分間走り負けない戦いができるようになってきた。それを国際大会で感じられるようになったんです。やっと、世界と戦う土俵に立ったなって」
結局、ロンドンパラの予選に立ち戻る。あれから6年。常に課題や目標値を設定して取り組むべきことは手を抜かずに実践してきた。
「負けず嫌いなので、勝つまでやり続けたいんです。2011年のロンドン予選を超えるまで」
忘れられない、忘れてはいけない。この借りを返すのは、パラリンピックだけだから。

幾多の困難にぶつかりながらも、前を向いてきた。
「今、これを乗り越えたら、もう本当に怖いものなんかないでしょう。無敵ですよ!」

仙台の体育館から、世界へ。藤井はまた歩き始める。

文中写真:日本車椅子バスケットボール選手権大会 決勝(2017年5月5日)より

この記事は、Tokyo2020 NHK情報サイト「パラスポーツ情報」内の「宮崎恵理『My Way, My Style パラアスリートの流儀』」に連載されたものです。
http://www.nhk.or.jp/parasports-blog/300/


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