ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
スポーツを通じた絆を、
競技を支える人たちのドラマを、
世界に誇る日本の文化や芸術を、
誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
さまざまな視点で切り取り、伝えていく。
ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2017.05.12

愛知県で60年、地域に根差した空手道場

ビューティフルジャパンが注目した、堀場早耶さん。彼女が空手を学ぶのは、愛知県知多郡武豊町にある空手道場です。

こちらの道場では、早耶さんを筆頭に、全国トップクラスの選手が日々汗を流しています。

私たちが、道場の皆さんとのふれあいを通じて感じたのは、地域と空手との強いつながりでした。
今回は、早耶さんの空手の背景にある、地域と空手の「ストーリー」を紹介します。
「私たちの道場は、愛知県の知多半島で最初にできた空手道場です。今年で、ちょうど60周年を迎えます」 そう話してくれたのは、早耶さんが通う道場の館長である、桑子和也師範。

三代目の館長をつとめる、桑子和也師範。
現在の本部道場。建て替えによって、近代的な道場に。

道場を開いた初代館長は、桑子師範の祖父。1957年、スタートは「青空道場」からだったそうです。
「公園で街灯をたよりに稽古したのがはじまり。練習は毎回、竹のほうきで小石を掃くところから。夏も冬も、素足でやっていたそうです」(桑子師範)

道場のスクラップブックには、地域での活動や選手の活躍を伝える記事がまとめられていた。

やがて、道場が完成。それは野中の一軒家。現在の道場は住宅街の中にありますが、当時はまわりに何にもなく、ポツンと道場だけがあったそうです。そこへ、「空手を学びたい!」という、多くの人が通ってきました。
門下生は道場に入りきれないほど。仕方なく初心者は外で稽古していたようです(笑)」(桑子師範)

驚いたのは、この空手道場が、地区のライフライン普及に大きな役割を果たしていたこと。桑子師範によれば、何もない土地だったため、初代館長が自ら道場に水道や電気を引いたそうです。
「昔からいる人は、『空手さんのおかげ』と、よく言ってくれますね」(桑子師範)

地域とのかかわりは、現在でも続いています。「先代(桑子師範の父)が、町の体育協会長をつとめたり、いまでも大会は町の体育館で開催したり、武豊町の振興や若者育成に取り組んでいます」

最後に、桑子師範は、「私たちは、町とともにありたい」と、力強く語ってくれました。

空手を学ぶ子どもたち。ここから、また町を代表する空手選手が誕生するかもしれない。

▼堀場早耶さんインタビュー映像:
人に憧れられるすごい「形」が打てる選手になりたい 愛知・空手篇



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