ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
スポーツを通じた絆を、
競技を支える人たちのドラマを、
世界に誇る日本の文化や芸術を、
誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
さまざまな視点で切り取り、伝えていく。
ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2018.10.30

地域とともにこれからも歩む、北九州の名門「石田卓球クラブ」

世界を目指す卓球少年・少女が集う、「石田卓球クラブ」。これまでもオリンピアンから全国クラスの選手まで、強豪選手を多数輩出している。他のクラブと一線を画す指導方針や実績により、いまや全国的な知名度を誇るまでになった名門卓球クラブだが、その背景には地域との強いつながりがあった。地域とともに歩んできた歴史と今後の取り組みについて、石田弘樹監督に話をうかがった。

卓球クラブ創設は、両親の「挑戦」

石田卓球クラブは、2018年に30周年を迎えます。立ち上げたのは父・眞行と母・千栄子ですが、発足のきっかけは私が卓球を始めたことでした。両親ともに卓球選手で、父は百貨店でバイヤーをしながら、母も会社勤めをしながら、両親ともに現役時代は卓球の実業団選手として活動していたのですが、息子の私はというと小学校までサッカーに明け暮れていたのです(笑)。

石田弘樹監督。選手たちの指導はもちろん、生活の面倒もみる

ただ、当時はJリーグもない時代で、中学校の部活にサッカー部もありませんでした。「運動はしたいけど何部にしようかな......」と悩んだ結果、馴染みがあった卓球を選択。それを機に、両親が念願だった卓球場をつくろうと、八幡西区則松で石田卓球クラブを創設することになったそうです。

少年時代は、サッカーに明け暮れていた
石田眞行さん。現在も子どもたちを指導している

とはいえ、その頃卓球で生計を立てている人はそういなかった。そのため、おもに母がクラブを切り盛りしていて、父は百貨店で働きながら仕事が休みの時に指導するかたちで運営していました。卓球人口もそこまで多くなかったので、卓球場の立ち上げは夢だったと聞いていますが、やっていけるという自信はあったようです。

経営が軌道にのってきたのは、創設から6年ほど経った頃。健康維持のために通う専業主婦の方が大半でしたが、生徒数も多く、また小学生もかなり増えたことから、若年層の強化に注力できそうだということで、父が会社を辞めてクラブの運営に専念することに。それから間もなく、クラブに通っていた生徒さんが、「強くならないかもしれないけど孫を通わせてくれないか」ということで入ってきたのが、岸川聖也選手(北京2008オリンピック日本代表選手団、ロンドン2012オリンピック日本代表選手団)の兄である岸川一星選手でした。その後、弟である聖也選手も卓球の魅力に取りつかれていったんです。

以来、岸川を筆頭に、田添健汰・響兄弟(ともに木下グループ所属)、早田ひな(日本生命所属)といった、ワールドクラスで戦える選手を育ててきましたが、創設当時はどちらかと言えば、「楽しく卓球ができるクラブ」がコンセプトで、ここまで強化に力を入れるつもりはなかったようです。そこは両親の間で、何度も議論してきたようですが、「強い選手を育てられるクラブじゃないと人が集まらない」という父の想いが強くて、ここまできたのかなと思います。

地元高校の卓球部強化が中学生選手育成のきっかけに

石田卓球クラブが現在のような中学生選手強化に取り組むことになったきっかけは、「希望が丘高校」の存在です。10年ぐらい前、当時の教頭先生のお子さんが、石田卓球クラブに習いにきていたこともあり、父も懇意にしていました。父とはサウナ仲間だったようで(笑)、二人で汗をかいていたとき、教頭先生から「学校のイメージをどうにかして良くしたい」と相談を受けていたそうです。希望が丘高校は"やんちゃ"な高校として近所でも知られており、教頭先生も何とかスポーツで立て直せないかと目論んでいたようなのです。

クラブに飾られている皿形表彰楯。希望が丘高校が全国制覇したときのもの

当時、父は日本代表の18歳以下のジュニアナショナルチームコーチと12歳以下のホープスナショナルチームのコーチを兼任。それにくわえて、希望が丘高校卓球部に力を注ぎ始めるようになりました。そのとき、私は33歳。京都の東山高校から専修大学に進み、東京の実業団に所属していたものの、引退してから今後どうしようか考えていたのです。そのタイミングで、父から「帰ってきて後を継がないか」と声を掛けられ、石田卓球クラブでの指導を開始。その後、ホープスナショナルチームのコーチとしても活動を始めました。

それがちょうど10年前のことで、父の指導を求めて全国から子どもたちが、希望が丘高校に集まり、5年でインターハイの全国優勝を果たしました。ただ、継続して全国制覇するためには、中学生から育てる必要があります。希望が丘高校には、中学校がないのでどうしようかと考えていた頃、尾畑宇喜雄会長が、「子どもたちが強くなるのを応援したい」とおっしゃってくださり、今練習している卓球場を開設してくれました。

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とはいっても、子どもたちは集まるのか......と心配にもなりましたが、ホープスに選出されていた選手が中学にあがるタイミングで来たいという話になり、1年目から3人が共同生活を送ることになりました。今では、毎年3人~5人の子どもたちがコンスタントに入ってくるようになり、常に10人以上の選手で練習を行えるようになりました。基本的に選抜はせずに、この場所に来て強くなりたいという子どもたちを招き入れています。卓球は運動神経が良くても、頭が良くても駄目なので、どこかその子のいいところがあれば伸ばしたいと思って育てています。

今では、強くなるために毎年10人くらいの子どもが集まっている

全国でも珍しい幼稚園の正課体育に

子どもたちは卓球漬けの毎日を過ごす

子どもたちは親元を離れて、近隣の中学校に通っています。なので、私が親代わりとなって、保護者面談にも出向きますし、家庭訪問も受けています。中学から卓球に全力で向き合う心づもりで、ここにやってくる子どもたちなので、普通であれば寝るまでの休息時間も、卓球で遊んだり、卓球の動画を観たりと、強制するまでもなく卓球漬けの毎日を送っています。

全員が世界クラスに育てば理想ですが、現実はそう簡単ではありません。ただ、石田卓球クラブで過ごせば、全国に名前を残せると自信を持ってもらえるように、こちらもコーチとして日々研鑽を積んでいます。今年からプロ化を視野に入れた卓球リーグの「Tリーグ」が開幕しますので、選手の将来の選択肢は増えていくと思っています。

「3万時間‼」 子どもたちを鼓舞する手書きのメッセージ

私もよく「生活の面倒まで見るのは大変では?」と聞かれますが、大変は大変ですが、4歳から85歳までの幅広い年齢層の人たち、トップアスリートを目指す選手から愛好者、そしてナショナルチームまで、卓球という共通項で結ばれた幅広い人たちと交流することができるので、毎日飽きることなく充実した時間を過ごせています。

卓球は、「3万時間費やさないと一流選手にはなれない」と言われますが、世界に目を向けると中学生や高校生が活躍している競技です。今年から、8歳以下のナショナルチームも立ち上がり、強化練習会も実施されています。石田卓球クラブも、まだまだ改善するべきことは多いですが、いずれにしても子どもたちが早い段階から、日々卓球に没頭できる環境が必要です。

地域との連携から未来のオリンピアン育てたいと語る石田監督

そうした中、最近は地域ぐるみの取り組みも活発化しています。2018年5月から中間市にある「はぶ幼稚園」が正課体育に卓球を取り入れることになりました。この幼稚園は年始の必勝祈願で通っていた埴生神社が運営しているとあって、不思議な縁を感じています。毎月2回、60人ほどの幼稚園児を卓球場で指導しています。その子たちから、2028年のロサンゼルスオリンピックに日本代表選手を送り出せれば本望ですね。


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Beautiful JAPAN towards 2020

「ビューティフルジャパン」は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向かって、この美しい国をひとつにするプロジェクト。日本全国のアスリートたちのチャレンジを応援していきます。