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2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
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東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2021.08.08

グランドスラムの夢を叶えた車いすテニス・大谷桃子、東京パラで会場をどよめかせる!

思い描いていた形とは少し異なるが、2020年、夢を叶えたテニス選手がいる。夢はグランドスラム出場で、かつて卒業文集に「プロテニスプレーヤーになる」と書いたのは、大谷桃子、25歳。大きな瞳を持つ太陽みたいな女性は「車いすになってから、気づいたこともたくさんあるので、いまの人生でよかった」と晴れやかに笑う。

2度目のグランドスラムで準優勝

2020年8月、全米オープン。夢が叶う日がとうとうやってきた。栃木県代表でインターハイにも出場した元硬式テニス選手の大谷は、車いすでかつて抱いた夢を実現した。

大谷桃子(以下、大谷)グランドスラムは、他の大会とは格が違いました。待遇も違うし、テレビで見る選手が目の前で練習をしていて興奮しました。だから試合前日、会場の下見はしたものの、憧れの舞台に立つことが他人事にしか思えず、自分がプレーしているイメージを作れませんでした。

全米オープンに出場し、グランドスラム出場の夢をかなえた photo by Getty Images Sport

夢舞台に立ったことはうれしい。だが、逆に浮足立ち、初戦で日本のエース上地結衣にストレート負け。「もったいないことをした」と悔やんだ。しかし、苦しんだ時間を経たあとの全仏オープンは違った。準決勝で世界1位のディーデ・デフロート(オランダ)を破る金星を挙げ、準優勝に輝いた。

大谷 実は1回戦の南アフリカ選手にも勝ったことがなかったんです。ここで勝てなかったら、グランドスラムが遠のいてしまうプレッシャーがあったし、全米オープンの反省もあってメンタルも整えていきました。

その甲斐あり初戦は白星を収める。そして準決勝。速い球を繰り出すデフロートに対し、大谷は「リスクを背負って」、ライン際にスピードを抑えたリターンを放つ作戦に出た。本来ならロブなどを使ったラリー戦が得意だが、大谷が選んだのはリターンエースによる短期決戦だった。その戦略がはまり、難敵をストレートで突き放した。

大谷 グランドスラムをはじめ、2020年は本当にいいことしかなかったですね。社会人になって練習環境も充実してきましたし。今後、グランドスラムでは、まず全米オープンで結果を残し、悔しさを忘れ去りたいです。

2021年6月現在、世界ランキング6位。大谷はすっかり世界トップの一員になった。

インドネシア2018アジアパラ競技大会ではシングルスで銅メダル(写真右) photo by Haruo Wanibe

内省を経て車いすテニス選手へ

こうして日本2番手になった大谷だが、実は車いすテニス歴は長くない。本格的に始めたのは、2016年、西九州大学に入学した21歳のときだ。いまのイキイキした大谷からは想像しにくいが、車いすテニスを始める前には引きこもっていた時期もある。高校卒業後、スポーツトレーナーを目指して入った専門学校に入学して2か月後、突然、右足が痙攣しだし、両手にも症状が出るようになり車いす生活に入っていた。

大谷 引きこもっていた時期は、どう生きればいいのか、考えていたんです。そんな私を見て、父が「車いすテニスを見に行ってみよう」と誘ってくれたこともありました。でも、やってみるとこれまでと目線が違うし、私の知るテニスとは全然違う。やればやるほど楽しくなくなっていきました。

しかし、別のことに目が留まった。自分で車を運転してコートにやってくる車いすの人々の姿だ。平日は仕事をし、週末はテニスを楽しんでいた。大谷は刺激を受け、自立への思いを募らせるようになった。

大谷 以来、求人募集を見るようになったんです。でもだいたい大卒以上が採用条件のところばかり。そこで、私も大学に行くことにしたんです。進学先は、父の単身赴任先に近い佐賀の学校を選びました。

大学に入学すると、本来、体育会気質の大谷は、何かスポーツをできればいいなと思っていた。ただし、テニス以外で、だ。候補は陸上競技とアーチェリー。しかし、本格的な指導を受けるのは難しいとわかり、競技は始めずに終わった。それからほどなくして、競技テニスとの再開を果たす。

大谷 ゼミの先生に誘われて飯塚市(福岡)でのジャパンオープンを見に行ったら、一度、お会いしたことのある堂森佳南子選手が世界の選手と戦っていたんです。

この試合がすごく長かった。途中で先生とお昼休憩に行って戻ってきたあとも試合をしていた。すると私は試合を短くするためには、どういう展開がいいのか、勝手に考え出してしまって......。やっぱりテニスが好きなんだ、もう一回、頑張ってみようと思いました。

いったん決めると、行動も速かった。「やるからにはグランドスラム」と決めた大谷は、すぐに「コーチがいないとダメだ」と悟り、手持ちの資金をやりくりして、テニスショップを経営しながらコーチ業もしていた古賀雅博氏に指導を依頼する。

大谷 このとき、古賀さんには「いま忙しいから無理」って言われたんです。でも、コーチの本音は「車いすテニスは分からないからできない」。言い方が優しかったから、私は分からなくて、「じゃあ、忙しくないときに行けばいいや」と思ってしまったんです(苦笑)。以来、なし崩し的に見てもらうようになり、10月1日からちゃんと師弟関係を結びました。

暑さの中、プレーしたインドネシア2018アジアパラ競技大会 photo by Haruo Wanibe

4年間でグランドスラムまで一気

ここからグランドスラムまでの道のりは、大谷と古賀コーチの二人三脚の物語である。当初、大谷も古賀コーチも遠征の周り方はもちろん、練習法もわからず、動画サイトで練習法を検索するような状態が続いた。また、大谷が硬式テニスの経験をそのまま車いすテニスに生かせたわけではなかった。

大谷 いま中指・薬指・小指もあまりきかないので、添え木を当ててテーピングで固定し、その間にグリップを入れています。また以前、バックハンドは両手で打っていたんですが、車いすだと片手になるので、最初はどのグリップで打ったらいいのか、わかりませんでした。

グリップが違えば、打ち方はまったく変わる。もちろん、初めてのチェアワークはいっそう難しい。硬式テニスの全国経験者といわれる大谷だが、こと車いすテニスに関してはあらゆる技術を古賀コーチとイチから構築するようなものだった。しかし、手探りが続くなか、転機になったのは、古賀コーチが上地を指導する千川理光コーチに"コーチング法"を仰ぐようになってからだ。一気に練習内容が濃くなり、大谷はインドネシア2018アジアパラ競技大会で銅メダルを獲得。2020年1月のオーストラリアでの大会では3回戦で上地に敗れるも初めてフルセットを演じ、最大の課題だったチェアワークに手ごたえを得た。

大谷 2019年からはチェアワークに時間をかけたんです。それまでは自信がなくて、どう走ってどう打つか、考えながらだったんですが、この試合では勝手に体が動きました。

練習してきたことが急に実戦でも使えるようになったのだ。その成果が全仏の準優勝に直結していることはいうまでもない。ちなみにこの大会のポイント配分率は高く、大谷をグランドスラム出場にも導いている。選手は大舞台を経験すればいっそう強くなるもので、6月上旬には、初めてのパラリンピック出場も決まった

大谷 私の憧れはずっとグランドスラムにあり、パラリンピックより思い入れが強いのですが、東京開催となると違う。今のトップ10のほとんどは私より障がいの状態がいいので、そんななかでも戦えるんだってところも見せたいです。

実は、その日によって、大谷の手のコンディションは大きく異なるという。うまく調子を整えられないときは、耐えられず古賀コーチに愚痴る日もあるが、それでも大谷は歩みを止める気はない。

終始笑顔でオンラインインタビューに答えてくれた

大谷 障がいが軽い人に勝つときは、"やってやった感"が生まれていることを感じるんです(笑)。

大谷は、障がいを細かくクラス分けしないところにも車いすテニスの魅力があるともつけ加える。ならば東京では、「どうだ!」といわんばかりの大谷の顔を見たくないか。トップ選手の入り口に立ったばかりの大谷が、ビッグウォールに立ち向かってついに勝つ、最高の姿を。

text by Yoshimi Suzuki
photo by Panoramic/アフロ

〈この記事は、日本財団パラリンピックサポートセンター公式WEBサイト「ニュース&トピックス」に掲載されたものです。(2021/07/02公開)〉


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