ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
スポーツを通じた絆を、
競技を支える人たちのドラマを、
世界に誇る日本の文化や芸術を、
誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
さまざまな視点で切り取り、伝えていく。
ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2018.08.23

パラアスリートを支える女性たち

日本車いすテニス協会 佐々木留衣さん(32歳)
一般社団法人日本車いすテニス協会 広報部次長(事務局兼任)

アスリートの熱い思いを支える

アスリートはだれでも日々黙々と自分と向き合い、ひたむきな努力を続けています。しかし、競技はひとりきりでは成立しません。選手の熱い思いを支える、競技団体で働く女性のライフヒストリーにスポットを当てました。

佐々木さんの地元、福岡県で開催される「飯塚国際車いすテニス大会(Japan Open)」は、世界のトップランカーを始め100名近くの選手がエントリーする、アジア最高峰の国際大会。第34回目を迎えた今年は5月14日~19日に開催され、男子では国枝慎吾選手が準優勝、女子では上地結衣選手が6連覇を果たし、初の皇后杯を手にしました。

本大会は、毎回2000名を越えるボランティアスタッフがその運営をサポートします。幼少時代から家族で大会にたずさわり、現在も事務局で選手サービスや広報を担当する佐々木さんに、競技の魅力や車いすテニスとの関わりからお聞きしました。

チェアワークによるスピード感が魅力

毎年大会が始まる直前まで、運営スタッフはさまざまな準備に追われます。コートを整備し、場内にテントを張って、事務局を設置。机やイスをブースに運びこんでポップを飾り、選手が利用する控え室を整備するなど、スタッフ総出で手づくりの設営作業に集中します。中でも佐々木さんは、外国人選手への対応から選手食事会の司会、最終日は表彰式の進行まで、ひとりで何役もこなす大会のエンジン的な存在です。

大会前日、あわただしく「選手サービス(Players service)」デスクを整える佐々木さん(2017年)

――佐々木さんを夢中にさせた車いすテニスの魅力とは、どんなところにあると思いますか。

そうですね。テニスは静寂と熱狂、選手の緊張感や瞬発力がダイレクトに伝わってくる、独特な空気がなんともいえない競技だと思っています。車いすテニスにはさらに、チェアワークによるスピード感も加わります。車いすユーザーではない私にとっては想定外の動きが多く、それらに驚かされることも大きな魅力のひとつです。大会運営中はあまり試合を見ることができませんが、見られるときには、瞬間瞬間の興奮と感動を満喫しながら、熱くコートを見つめています。

人生を変えた車いすテニスとの出合い

――佐々木さんは「飯塚国際車いすテニス大会」発足年に生まれて、3歳で初めて大会を体験されたそうですが、当時の記憶はありますか?

父に連れられ、大会前の選手食事会に行ったのが最初でした。覚えているのは、"いつもと違う空気感"。目の前に車いすに乗った日本人選手や外国人選手が大勢いるという"異文化感"を、子供ながらに感じました。

そんな中、ふとひとりの女性選手と目が合ったんです。それはオランダのシャントーレ・ファンディエルンドーク選手。なぜだかわからないのですが、「あの人の名前を聞いてほしい!」と父を引っ張って連れていき、そこからずっと、彼女のひざの上に乗って何かしゃべり続けている様子がホームビデオに残ってるんです(笑)。

その(シャントーレ選手との)出会いからですね。英語が好きになったのは。「彼女と話しをしたい」気持ちが英語を学ぶ原動力になりました。両親も私が英語に触れる機会をつくってくれて、「アジア太平洋子ども会議」などの国際行事に参加したり、友人に会うため、小4でフランスまでひとりで飛行機に乗って行かせてもらいました。

思えば人生の初期に、国の違いや肌の色の違いとか、障がいがあるとかないとか、そうしたことに関係なくさまざまな人に触れ合う機会に恵まれたことで、多様性を自然に受け入れるベースのようなものができました。そのことが、今の自分の生き方に大きく影響していると思います。

選手と交流する小学生時代の佐々木さんの様子が掲載された、第11回大会の新聞記事

20歳での大会通訳経験がひとつの分岐点に

"私はあの大会に育ててもらったようなもの"と、振り返る佐々木さん。3歳での衝撃的な出合い以降、車いすテニスに興味をもち、大会運営に関わる父とともに毎年会場に顔を出すようになります。小中学校時代はガールスカウトとして運営資金の募金活動を行ったり、開会式でプラカードを持って選手を先導したり、頼まれて試合開始前のアナウンスを務めたことも。

当時は街をあげてのフェスティバル的な雰囲気が強く、関わるスタッフたちにも大会のマスコットのように愛されて、佐々木さん自身はある種お祭りを楽しむような感覚があったといいます。しかし、彼女の意識が一転したのは大学3年、20歳のとき。初めて正式にボランティアとして参加し、車いすの選手たちの現実に直面しました。

――それまでとはどのような違いがあったのでしょう。

まず、1週間毎朝決められた時間に会場に足を運んで、自分に与えられた責務をまっとうさせてもらえたことが当時の自分には喜びでした。

でも、それより大きかったのは、"やっぱり、違いがあることは頭に入れておかなくてはいけない"と気づいたことです。それまで私にとって選手のみなさんは、"出会ったときからアスリート"だったんです。かなりのことはご自身でできるように見えましたし、逆に垣根はないと思っていました。

ところが、いざ選手のサービス担当になってみると、当たり前ですがトイレの問題や、障がいをもつ方にはデリケートな体質の方も多いため、体調管理の問題などがありました。また敷地内が整備されていなかったので、車いすでは通りづらい箇所についての細かな対応なども必要でした。

大会前夜の選手食事会にて。「対戦表はいつ出る?」などの質問に丁寧に対応。佐々木さんを頼りにする外国人選手たちが増え、やりがいを感じているそう。

一般的な配慮とは違う目線の気配りが大切で、そこにきちんと目を向けて、より責任をもち、自分でしっかり把握し管理しなければいけない。もう"楽しい!"だけではダメなんだと、責任感も生まれてきました。

そのぶん、充実感もありました。大会をつくる一員になれたという誇りがもてた。選手からのとっさのクレームにも英語で対応し、自分で解決できたという達成感を味わうことができて、それらの経験がのちに日本車いすテニス協会で働くことにもつながりました。

車いすテニス大会のサポートは、やっぱり天職

子ども時代は車いすテニス大会とともに育ち、大学時代は事務局スタッフとしてたずさわってきた佐々木さんには、一方でグランドスタッフになる夢もありました。きっかけは小学4年生でのフランスひとり旅。"空港でアテンドしてくれた働くカッコいいおねえさん"になるべく、大学卒業後は航空関連会社に新卒入社。グランドスタッフとして4年間勤務する中で、興味をもっていた部への異動も実現。そんな充実した日々のさなかに結婚話ももちあがります。当時の仕事は空港に近い場所に住むことがマスト。でも、夫の通勤には不便なエリアでした。仕事か結婚か、佐々木さんは半年間ほど迷い、悩んだそうです。

――答えを出すために、何かきっかけとなるできごとはありましたか?

母の言葉に背中を押されました。ふだんあまり悩まないタイプの私が、仕事を辞めるかどうかで半年ほど迷っていたら「あなたが迷うのは珍しい。たぶんすごく素敵な人なんだと思う。結婚したほうがいい」と言われて "確かに"と、ハッとして。グランドスタッフを辞めて転職し、結婚に踏みきりました。

ところが夫の海外赴任が突然決まって、27歳でマレーシア生活がスタート。人生の急展開に驚きました。しかしこの赴任が、再び車いすテニス大会に関わるきっかけとなったのです。グランドスタッフ時代はひたすら業務に打ち込み、大会時期に帰省することはできませんでしたが、マレーシアでの私は妻として現地の人間関係づくりに注力する日々。働かない状況は自分にむいてないとも感じていました。

そんなときです。久しぶりに父から「最近、どうしてる? 大会の人手が足りないんだ」と連絡があったのは。偶然一時帰国する時期と重なっていたので「手伝いに行く!」とふたつ返事でOKしました。やってみたら、すでに社会人経験もあるために学生時代よりも動ける自分に気づいて、うれしくなって。そこからは毎年、大会時期になると主人に「ごめん」とわびて、大会2か月前から終了後まで、定期的に長期間帰国する生活が始まったのです。

2017年、大会初日の朝のミーティング後に撮ったスタッフ集合写真

日本車いすテニス協会からもうれしい打診

佐々木さんがヘルプを頼まれたのは、折しもリオパラリンピックの前年の2015年。この年に開催された飯塚国際車いすテニス大会では、国枝慎吾選手と上地結衣選手が優勝し、観客動員も約5000名と盛り上がりをみせました。大会が無事終了して、実は夫の帰任が決まっていた佐々木さんがみんなにそのことを告げると、"Japan Openの申し子が帰ってくる!"とすぐに噂が広まりました。そして、帰国後の仕事探しをしていた彼女に、日本車いすテニス協会の事務局長から正式オファーが。

――昨年6月から東京事務所に席を置き、今年2月には広報部次長を任されたそうですが。

友人たちには、"とうとう仕事にしたね"と言われました(笑)。ですが、日本車いすテニス協会での業務はこれまでの大会運営とはまったく違い、文字どおり日々奮闘しています。助成金業務や経理、活動報告書を作成するほか、今年からは、急務だったスポンサー獲得のために広報部次長として都内を走り回っている日々です。着眼点や使う知識、スタンスが異なるだけでなく、もっている情報量も経験値も足りていません。関わってくださる方に失礼のないよう周囲に助けていただき、勉強しながら、どうにか懸命に学んでいるところです。

はたからみれば、素人の私がなぜ、大きなミッションを担っているのか、不思議に思う方もいるかもしれません。その背景には、パラスポーツの競技団体はボランティア組織から出発するケースが大半という現状があります。うちの協会も "車いすテニスの普及"に賛同する二足のわらじをはくスタッフの手により運営されてきた経緯があります。社団法人になったのも2015年。十分な財源もなく、草の根をかきわけるような進み方をしているからこそ、今後きちんとすそのを広げられるような体力をつけなければと思っています。

個人的には、毎日、満員電車に揺られて往復4時間通勤するのが、けっこうしんどいときもあったりします(苦笑)。「東京2020」が目前に迫り、業務のスピード感も上がりました。今は本当に目の前の仕事に対応することだけに専念して、寝て起きてすぐに仕事に行って、というくり返し。でもそんな私を夫は、帰宅時間が遅くなろうが出張で不在になろうが、"何も言わない"という形であたたかく支えてくれています。そのことは本当に、しみじみとうれしいですね。

スケジュール帳や大会資料が広がる、東京事務所(日本財団パラリンピックサポートセンター内)の佐々木さんのデスク

ひとりの女性として見つめる未来

――大好きで愛着もある、車いすテニス界を支える仕事。そのモチベーションとなるものはなんでしょうか。

3歳のころから関わっている車いすテニスの世界。今年の「飯塚国際車いすテニス大会(Japan Open)」では、天皇杯・皇后杯をさずかるという歴史が変わる瞬間に立ち合えました。ご縁がつながり今は日本車いすテニス協会に所属して、「東京2020」を迎えるところに立っているというだけで、すごく光栄なことだと思っているんですね。

でも、数年前に少しいろいろなことがあって、自分自身の幸せってなんなのか。これからの人生で私の原動力になるものはなんだろうと、ふと、考えてみたことがあるんです。その結果、"今は思いっきり仕事をして、思いっきり遊ぶ"という結論に至りました。今は遊べてはいませんが(笑)、好きな仕事をものすごくがんばっているところです。好きなことの中でもがきながら生きていられるのは、ある意味とてもしあわせで、だからこそ、がんばれるのかもしれません。

ひと盛り上がりして忘れられたら悲しいから...

――2020年に向けて、期待するものと実現させたいことは、なんでしょう。

個人的には、各地で行われている、パラスポーツの大会やイベントに訪れる人が増えたり、関心をもつ人が増えるといいなと思っています。2020年が一時的なスポーツの祭典で終わらないように、そこから何かが派生して、住みよい街づくりや語学の発展などにもつながってほしいです。今はかなり注目度が上がっていますが、こんな言い方しちゃいけないんですけど、ひと盛り上がりして、忘れ去られてしまったら悲しいなと思うので...。競技の魅力を伝えて、大会にハマって観に来てくれるような観客のみなさんが増えてほしい願いは常にありますね。生で観ることの大切さってあると思います。選手たちの息づかいだったり、球を打つ音だったりを聞いてほしいです。

日本車いすテニス協会としては、2020年を目前に、今はまだもがいているような状況です。2020年の後に私が今のポジションで、何を目標にやっていきたいかというと、これまで以上に協会同士の横のつながりを強めたり、ほかの各都道府県で行われている国際大会を知って、きちんと全国の車いすテニスの底上げというか、普及のようなものに力を入れられる人になりたいなと思っています。

ちなみに私が感じている車いすテニスの選手の魅力は、みなさんすごく「気持ちがいい」ことですね。あたたかいですし、礼儀正しい。個人としてツアーに参加して、個人としていろんなものと闘ったり感謝しながら、毎年飯塚に帰ってきてくれるんだなと大会運営のときに感じます。それがすごく素敵だなと思います。

そして、今年34回目を迎えた「飯塚国際車いすテニス大会(Japan Open)」とは一緒に育ってきた感じがします。私を小さいころから見守ってくれたスタッフの方も、最近では頼りにしてくれたり、同じ職場で一緒に何かをしている感じになってきました。

長年力を合わせて大会運営してきたスタッフは皆、家族のような存在。最近ではアシスタントディレクターの有吉さん(写真中央男性)からも頼りにされ、それが何より嬉しいと佐々木さん。

34年間も手づくりしてきた大会なので、もうそれぞれのもち場のプロがいるんですよ。各自準備を進めて、それが大会当日を迎えたときにバチッとハマる。いつもどおりに大会が始まって、そして毎年最終日までにいろんな問題が起こるんですけど、それをクリアしながら表彰式を迎えたときに、いちばんのやりがいを感じますね。

構成/谷畑まゆみ
撮影/真坂由起(NOSTY)

〈この記事は、日本財団パラリンピックサポートセンター公式WEBサイト「ニュース&トピックス」に掲載されたものです。(2018/5/14公開)〉


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