ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
スポーツを通じた絆を、
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誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
さまざまな視点で切り取り、伝えていく。
ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2019.12.27

自分を強くしてくれた陸上とパラリンピックの存在 短距離ランナー・佐々木真菜

今年11月にアラブ首長国連邦・ドバイで開催されたパラ陸上競技の世界選手権。同大会で東京2020パラリンピックの日本人内定第一号となったのが、佐々木真菜選手だ。女子400m決勝で4位に入り、自身初となる"世界最高峰の舞台"への切符を手にした。しかし、ゴール直後に結果を知った彼女の心に真っ先に湧き出てきたのは喜びではなかった。狙っていた自己ベスト更新、そして表彰台に上がることのできなかった悔しさの方だった。そんな勝負にこだわるアスリート佐々木真菜選手の姿を追った。

©Takao Ochi

喜びよりも悔しさがこみ上げてきた選考レース

2019年11月7日、世界から集結したパラアスリートたちによる熾烈な戦いの幕が開いた。この日、日本人選手団の先陣を切ってレースに臨んだのが佐々木選手だった。午前に行われた予選は、厳しい環境下で行われた。中東アジア独特の埃っぽさの中に乾燥した空気が漂い、トラックには灼熱の太陽が降り注いでいた。

しかし、佐々木選手の調子は上向きだった。落ち着いた表情でスタートを切った彼女は、最後の50mで伸びを感じさせるほどの力強い走りで2着でゴール。全体でも2番目の好タイム58秒65で決勝進出を決めた。

「トラックは少し硬めに感じ、私には比較的走りやすかったです。タイムもかなりいい。決勝ではしっかりとメダルを狙っていきたいと思います」

日本人選手、内定第一号誕生の瞬間に期待が高まっていた。その約10時間後の午後8時、ライトアップされたトラックに再び佐々木選手が登場した。

「On your mark」のコールで競技場の視線が、スタートラインに並んだ選手たちに注がれた。すると緊張感が漂うなか、突然、思わぬアクシデントが起こった。「Set」という合図とともに一斉にランナーたちが腰を上げたその直後、一人のランナーが飛び出したのだ。完全なるフライングだった。

それは佐々木選手の隣のレーンの選手だった。しかし、視覚に障がいのある佐々木選手には、その時点では何が起こったかは定かではなかった。ただ、左の後方から「カシャッ」という音だけが聞こえ、誰かがフライングしたのだろうとは想像はできていたという。果たして、レースに影響は及ぼさなかったのか――。

©Takao Ochi

「再スタートとなった時には、やはりどこか焦りというか動揺みたいなのがありました。でも、大きく深呼吸をした後は、すぐに気持ちを切り替えられたので、それほど大きな影響はありませんでした」

その言葉通り、佐々木選手は肩の力が抜けたしなやかな走りでトラックの上を駆けて行った。

最後のコーナーをまわり、ホームストレートに入った時、佐々木選手は4番目の位置にいた。内側のコースには2人の選手が佐々木選手と並ぶようにして走り、3人での4位争いが繰り広げられた。その壮絶なデッドヒートから抜きん出たのは、佐々木選手だった。結果的には1秒もの差をつけて4位でゴール。日本パラ陸上競技連盟の規定により、4位以内に与えられる東京パラリンピックの内定を自力で奪い取ってみせた。

しかし、佐々木選手にとっては喜びと悔しさが入り混じっていた。4位という順位も、58秒38というタイムも、納得できるものではなかったからだ。

「東京パラの内定をいただけたことは、本当に嬉しくてたまりません。でも、目標としていた57秒台を出すことができなかったことが、やっぱり悔しいです。東京では必ず57秒台、56秒台を出して金メダルを取りたいと思います」

最初に悔しさが湧き出てきたところにこそ、佐々木選手の強さ、そして伸びしろがある。22歳の成長スピードが加速するのはこれからだ。

©Takao Ochi

東京2020大会開催決定の瞬間に訪れたプラス思考の"スイッチ"

佐々木選手は、子どもの頃から体を動かすことが好きで、特に長距離走を得意とし、小学校の校内マラソンではいつも先頭争いをするほどだった。初めてレースに出場したのは、小学5年生のとき。担任の先生からのすすめで、福島市で行われた陸上競技大会に参加した。するとレースの魅力にすぐにハマった。

「800mに参加したのですが、すごく楽しかったんです。私には少し視覚に障がいがあるけれど、こうやって人と競走することができるんだという喜びがありました」

本格的に競技として陸上を始めたのは、中学2年生のとき。初めてパラ陸上の大会に出場し、800m、1500mで優勝したのがきっかけだった。競技歴は、来年でちょうど10年目を迎える。

そんな佐々木選手に衝撃とも言える出来事が起こったのは、高校1年生の時。2013年9月8日のことだった。日本時間午前5時過ぎ、テレビの向こうから東京2020オリンピック・パラリンピックの開催決定を告げるジャック・ロゲIOC会長(当時)の「TOKYO!」の声を耳にした瞬間、佐々木選手の中に熱いものがこみあげてきた。

「私、絶対に東京パラリンピックに出る!」

それまでは遠くにぼんやりとしかなかったというパラリンピックという存在が一転、現実の目標へと切り替わったのだ。そして、それは佐々木選手自身をも大きく変えることとなった。

©Takao Ochi

「もともとひどく人見知りの性格で、学校でも挨拶もできないほど人とコミュニケーションをとるのが苦手でした。陸上でも『このまま記録が出なかったらどうしよう』とすぐにネガティブな方に考えてしまっていたんです。でも、東京パラリンピックに出ると決めてからは、どうやったら速く走れるかを知りたくて、自分から人に相談できるようになったんです。そうやって陸上を通して人とのコミュニケーションがとれるようになり、ポジティブに考えられるようにもなったのは、東京パラリンピックのおかげなんです」

そして、笑いながらこう続けた。

「こんなふうにインタビューで受け答えするなんて、当時はとても考えられないことでした。テレビカメラやマイクを見つけると、すぐに人の陰に隠れていましたから(笑)。なので、陸上って、スポーツってすごいなぁ。こんなにも人を変える力があるんだなと感じています」

東京パラリンピックで金メダルを目指すのは、自らの限界に挑戦することと同時に、そんなスポーツの偉大さを伝えたいと思っているからだ。

©Takao Ochi

東京パラリンピックを最高の思い出に

いよいよ東京パラリンピックの年を迎える。本番まで残り9カ月。人生初の大舞台を前に、佐々木選手は今、何を思っているのか。

「2年前のロンドンでの悔しさを東京で晴らしたいなという気持ちがあります」

今でも忘れることができないほど、佐々木選手の中に悔しさとして残っているのが、2017年の世界選手権だという。初めて臨んだ"世界一決定戦"、400mに臨んだ佐々木選手は6位という結果に終わった。

しかし、悔しかったのは順位よりも、予想以上に開きがあった世界との差だった。佐々木選手の1分00秒17は、アジア新記録(当時)という好タイムだったにもかかわらず、金メダリストとは3秒以上もの差があり、5位の選手とも1秒以上の差があった。

「アジア新を出しても、これだけ世界と差があるのか......と大きなショックを受けました。その年、国内のレースでは初めて1分を切って59秒台を出していたので、世界の舞台でその力を発揮できなかったという悔しさもありましたが、何よりも世界との差を痛感させられたレースでした」

©Takao Ochi

あれから2年、佐々木選手はその世界との差をしっかりと縮めてきた。今回の世界選手権では金メダリストとの差は、1秒。そして2年前に3秒以上もあった選手は今回は3位となり、4位の佐々木選手とはわずか0.43秒差だった。

T13女子400mのなかで最年少でもある佐々木選手は、今、最も成長著しいランナーであることは間違いなく、東京パラリンピックでの躍進は十分にあり得る。金メダルは決して夢物語ではない。

現在、自己ベストは58秒08。金メダルを取るための指標となる57秒台を突破するためには、何が必要なのか。

「少しずつメンタル面は強くなってきていると感じていますし、課題としてきたスタートからの加速という点においても、一歩目から五歩目までを意識して力強く地面を踏み込むとグングングングングン、グーンというふうな感覚で走ることができるようになってきました。あとはフィジカルの面で持久力、スピード、体幹など全体的に上げていき、疲れてきた時に肩を上げないことを意識していくことが重要。スタートからゴールまで、イメージ通りの走りをすることができれば、必ず突破できると思っています」

インタビューの合間、ふとこんな質問をしてみた。
――これまでで最高の思い出は?
佐々木選手は少し考えた末に、こう答えた。

「来年の東京パラリンピックがそうなると思います!」

初めての"世界最高峰の舞台"が自国開催となる東京2020パラリンピック。そこで新国立競技場のセンターポールに日の丸を掲げることを「最高の思い出」にするつもりだ。

©Takao Ochi

取材・撮影:越智 貴雄  取材・文:斎藤 寿子


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