ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
スポーツを通じた絆を、
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世界に誇る日本の文化や芸術を、
誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
さまざまな視点で切り取り、伝えていく。
ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2020.02.28

パラ水泳界のニューヒーロー 競泳・山口尚秀選手

2019年9月11日(現地時間)、「山口尚秀」という名が、世界のパラ水泳界に知れ渡った。ロンドンで開催されたパラ水泳の世界選手権で、初出場の山口選手は男子平泳ぎ100mで優勝し、東京2020パラリンピックへの切符を手にしたのだ。しかも、当時の世界記録保持者との競り合いに勝ち、1分04秒95の世界新記録を樹立するという快挙を達成しての金メダルだった。まさにすい星のごとく現れた日本パラ水泳界のニューヒーロー誕生の軌跡を追った。

©Takao Ochi

世界新での金メダル獲得で生まれた感謝の思い

9月9日~15日の7日間にわたって行われた世界選手権は、各種目で3位以内に入った選手の国・地域には東京2020パラリンピックの出場枠が与えられるという重要な大会だった。さらに日本知的障害者水泳連盟の規定により、優勝した日本人選手は東京パラリンピック出場が内定することになっていた。

「優勝して一番になってこいよ!」
ロンドンに向かう前の最後の練習後、指導する柿崎彰一コーチはそう言って山口選手を送り出した。二人の間には、大きな自信があった。

「今年の4、5月は代表合宿や海外遠征が重なって、なかなか練習を見ることができなかったのですが、6月からの約3カ月間、みっちりとトレーニングをすることができました。7月に出場した愛媛県の大会では、平泳ぎは1分05秒75という自己ベストを記録していました。その後、スピード強化を図るトレーニングをするなかで、練習では好タイムを出していましたので、大きな手応えを感じていたんです」

初めての"世界一決定戦"という大舞台、山口選手にはやはり大きな緊張があった。しかし、「その緊張をバネにして泳ごうと思って大会に臨んだ」という。その言葉通り、レース当日、午前に行われた予選から自己ベストを更新する1分05秒46という好タイムを出し、全体2位で決勝進出を決めた。予選から1分05秒台を出せたことに安堵の気持ちを覚えながらも、「決勝はもっといいタイムを出さないといけない」と考えた山口選手は、日本の報道陣に向かって、こう宣言した。

「決勝では世界新記録を出して、金メダルを取りたいと思います」

そう語った彼の表情には、自分自身への不安や疑いは微塵も感じられなかった。報道陣を見る真っすぐな瞳には、自信が溢れていた。

©Takao Ochi

それから約8時間後、現地時間11日18時50分、決勝のレースがスタートした。勢いよく飛び込んだ山口選手は、スタートから先頭に立った。みるみるうちに後続を引き離し、50mのターンでは体半分をリードし、2位の選手に1秒以上もの差をつけていた。
さらに後半に入っても勢いは止まらず、一時は体一つ分をリードしてみせた。ところが、残り25mあたりから、隣のレーンで泳ぐ当時世界記録保持者でもあった、スコット・クイーン選手(イギリス)が山口選手を猛追。徐々にその差が縮まってきていた。
壮絶なデッドヒートの末、軍配が上がったのは山口選手だった。前半でのリードを活かし、逃げ切ってみせた。そして、ゴールした瞬間、表示された山口選手のタイムに会場から歓声が沸き起こった。

「1分04秒95」

知的障がいクラスでは、世界で初めて100m平泳ぎで「1分5秒」の壁を打ち破ってみせたのだ。
すると、電光掲示板で自らが樹立した大記録を確認した山口選手が見せたのは、歓喜のガッツポーズではなかった。両手を合わせ、「ありがとう」という言葉を2度叫んだのだ。レース後、その時の心境をこう語っている。

「パラ競泳を作ってくれた人、この大会を用意してくれた関係者や審判など、多くの人たちに感謝しています」

©Takao Ochi

転機となった高校1年の挫折

自閉症という障がいがある山口選手は、母親の由美さんによれば、もともとこだわりが強いことに加えて他人とのコミュニケーションや団体行動が苦手な子どもだったという。そのため、地元の学校ではなく、少人数で一人一人の特性に応じた支援が受けられ、よい面を伸ばすことを教育理念としている特別支援学校を小学校から高校まで選択した。高校時代には辛い経験をし、山口選手にとっても家族にとっても苦しい時間を過ごすなか、救いとなったのが水泳だった。
その場の状況や相手の気持ちをうまく理解することや、的確な言葉で自分の気持ちを表現することが苦手だった山口選手に合った場所を探していたという母親の由美さん。山口選手が小学4年生の時に見つけたのが、隣の市のスイミングスクールだった。そこに障がいのある子どもたち専用のクラスができたのだ。

「尚秀はもともと水遊びが好きでしたし、水泳は全身を使うのでいい運動になるかなと思ったんです。また、コーチも明るく包容力があり、尚秀も慕っていました」

当時は今のように世界を目指すアスリートになるとは、本人も家族もまったく想像していなかった。週に1回のスイミングスクールでは楽しく遊ぶことが一番の目的とされていた。

©Takao Ochi

転機が訪れたのは、高校1年生の時だった。愛媛県代表として、その年の秋に岩手で行われた全国障がい者スポーツ大会に出場した際、山口選手の能力の高さを見抜いた監督が、年明けに予定されていた日本知的障害者選手権水泳競技大会の出場をすすめてくれたのだ。
ところが、同大会で200m自由形にエントリーした山口選手は最下位という結果に終わった。この時、自分のふがいなさに山口選手はとり乱したという。当時のことを母親の由美さんはこう語ってくれた。

「レースの途中で泳ぐのをやめてしまったんです。その後はもう泣いて泣いて、手の施しようがなくどうしようもありませんでした。ただ、良かったのは、その大会にすでに活躍していた中島啓智選手や東海林大選手がいたこと。同じ障がいがある彼らの泳ぎを見て『全国大会に出るためには、ちゃんと練習しなければならない』と本人も私たちも思ったんです。それで家に帰って来て『どうする?頑張ってみる?』と聞いてみたところ、本人も『うん、やってみる』と。その時の挫折が、息子にとっては本当に大きかったのだと思います」

そして、自宅から近い今治市のスイミングスクールにお願いをして、「選手コース」に受け入れてくれることになったという。はじめは、苦しい練習に耐えられず、週に2、3回行くのが精一杯の状況だった。
それでも翌年、高校2年の秋に出場したジャパンパラ競技大会という日本選手権に並ぶ全国大会で、山口選手は100m自由形で2位となり、銀メダルを獲得。それ機に、日本国内の知的障がいクラスでは、トップスイマーとして活躍の場を広げていった。

©Takao Ochi

「世界一になるために、世界一の努力をする」

身長185cm、足のサイズは30cmという恵まれた体格の持ち主である山口選手。食生活にも気を配り、好きな炭酸飲料や揚げ物は、なるべく摂取しないようにしている。特に上半身は「まだまだ鍛えなければならない」と柿崎コーチは言い、フィジカルもテクニックも課題は山積みだ。しかし、だからこそ伸びしろはたっぷりある。
山口選手の強みは「ひれ」のように大きな足を活かした力強いキックから生まれる推進力で、前半から積極的にいく泳ぎができる点にある。一方、課題は後半のスタミナだ。これまで全国中学校体育大会やインターハイなど、多くの選手たちを全国の決勝レベルに育て上げた実績を持つ柿崎コーチはこう語る。

「長身で、足も大きい山口は、水泳選手としては非常に恵まれた体をしています。筋肉も柔軟性がありますしね。ですから、トレーニングをすれば、まだまだ伸びる可能性は無限にあります。特に上半身の筋力がついてパワーがつけば、さらに速く泳げるはず。東京パラリンピックでは特に前世界記録保持者で後半に強いスコット選手を、前半でどれだけ引き離すことができるか、さらに後半で粘り強さを発揮して逃げ切ることができるかカギを握ると思います。ですから、今ある前半のスピードをさらに磨き、加えて後半の持久力を高めていきたいと考えています」

練習次第では、1分03秒台を出す可能性も十分にあると、柿崎コーチは期待を寄せる。
一方、母親の由美さんは、現在の山口選手についてこう語る。

「今はインタビューで家族が驚くほどのことを言って、すごくかっこいい姿を見せていますが、実際に言っていることを完璧にできているかというと、そうではないこともたくさんあります。家では自分一人の空間を楽しみ、まったく話さないこともよくあります。ただ、昔から変わらないのは真っすぐさ。それは自閉症という障がいの特性なのか、尚秀自身の性格なのかはわかりませんが、真っすぐさは今も昔も変わっていないですね」

©Takao Ochi

そんな真っすぐさが、山口選手の言葉には宿っているのだろう。なぜか聞いている側の心に印象深く残ることが少なくない。
世界選手権で金メダルを獲得したレース直後、山口選手はこんな言葉を残している。

「世界一になるためには、世界一の努力をしなければならない」

その努力は、まだまだ完璧ではない。嫌いな練習もある。時には練習中、辛くてプールサイドから逃げることもある。

「実は、毎日練習に行きたくないと思うこともあります。毎日、やり続けること、気持ちをコントロールすることは大変」と本人も語るほど、そう簡単なことではない。そして今は泳ぐことは苦しい側面の方が大きい。「泳げば泳ぐほど、確かに力はつくけれど、なぜかうまく泳げているという感覚がつかめなくなって、苦しいこともある」という。

それでも山口選手は必ず練習の場に戻ってくる。なぜなら、彼には東京パラリンピックで金メダルを取り、世界に示したいことがあるからだ。

「僕が子どもの頃、まだ東京パラリンピックが決まる前は、障がい者は社会に必要がないとか、悪く言われることもあって、自分自身も辛かった経験をしてきました。だから東京パラリンピックで世界一になって、自分のように障がいがあっても、ここまでできる、可能性があるということを証明したいんです。そして障がいのある人もない人も一緒になることができる社会を実現できたらなと思っています」

山口選手の「尚秀」という名前にはこんな由縁がある。彼が生まれたその年、シドニーオリンピックで金メダルに輝いた女子マラソンの高橋尚子さんの「尚」と、すでに日本プロ野球界のスーパースターとなっていた松井秀喜さんの「秀」をとって「尚秀」と名付けられた。「今考えると恐縮してしまう」と母親の由美さんは謙遜するが、来年の夏、きっと彼の名も日本国内、そして世界へと羽ばたくはずだ。

©Takao Ochi

※この記事は2020年2月12日にWEBメディア『SPORTRAIT』で公開された記事です。

取材・撮影:越智 貴雄  取材・文:斎藤 寿子


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