ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
スポーツを通じた絆を、
競技を支える人たちのドラマを、
世界に誇る日本の文化や芸術を、
誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
さまざまな視点で切り取り、伝えていく。
ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2017.12.12

日本の食文化繁栄の礎を築いた1964年大会 東京オリンピック選手村食堂運営での挑戦

1964年の東京オリンピックの舞台で活躍したのは、競技に出場する選手だけではありません。その裏では、93の国と地域からやってきたおよそ7000人の選手とコーチなど関係者への食事を提供するために、全国から集まった300人の料理人たちが日々奮闘を重ねていたのです。

選手村に作られた食堂は3つ。そのうちのひとつで、日本、アジア、中東の選手団向けに用意された富士食堂の料理長として腕を振るったのが、のちに帝国ホテル総料理長となった村上信夫さんです。そこで今回、今は亡き村上さんから東京オリンピックのレガシーを継承する、帝国ホテルの現総料理長の田中健一郎さんに、村上さんから聞いた当時のお話を伺いました。

料理を教える村上信夫さん(中央)【写真提供:帝国ホテル】

――世界中から人が集う場が東京オリンピックですが、そのような特殊な場所で料理をつくるにあたって、準備段階で大変だったことはどんなことでしょうか?

まずは料理の内容を把握することですね。東京オリンピックで用意しなければならない料理は、多岐にわたります。中でもアフリカやイスラム圏で食べられている、当時日本では名前も知らなければ料理書にも載っていない料理を作るのはすごく大変だったとよく村上が話していました。そのために日本にある各国の大使館を訪ねて、駐在員の奥さまに作り方を教えてもらったり、頂いたルセット(レシピ)をもとにホテルで料理を作り、それを奥さまたちに食べていただき、その出来栄えを確認したりしたようです。

また、海外で働いている日本人に話を聞いたり、料理研究家の力を借りたりしながら、料理の情報を集める作業がとにかく大変だったと村上は言っていました。作り方が分かっても食材そのものの入手に苦労するケースも多かったようです。当時の日本は、生のフォアグラですら入手困難だった時代ですから。

大勢のゲストで賑わう試食会【写真提供:帝国ホテル】

――料理の量も尋常ではなかったですよね?

そうですね。最も苦労したのが大量の食材を保存することだったようです。オリンピックの期間中に必要な食材の量は、「ピーク時には1日に肉15トン、野菜6トン」と聞いております。当時は、冷凍食品の評価が高くなかったようですが、かといって生鮮食品だけで賄おうとすると、東京都の消費者物価に影響を及ぼすのではないかという声もあったそうです。

そこでニチレイと冷凍技術の開発を行い、従来以上によく冷える冷凍庫を導入して、選手村で提供する食材を冷凍保存して使っていくことにしました。最終的には試食会を行い、生鮮と冷凍それぞれの素材を使った料理をそれとは告げずに食べていただき、あとからそのうち一部が冷凍だと種明かしをしたそうです。

すると当時オリンピック担当相だった佐藤栄作さんが「どちらもおいしい」と太鼓判を押してくれた。その結果、正式に冷凍品の導入が決まったそうです。これをきっかけに冷凍技術が日本全体に広まっていきましたし、これからの時代は冷凍品も活用していくべきだという意識改革にもつながったと思います。

選手村食堂試食会の様子【写真提供:帝国ホテル】

――全国から集まった300人の料理人が料理を作るにあたって工夫したことは?

ルセットの統一です。当時、ルセットは料理人の秘伝ともいえる大切なもので、他人に教えることは到底考えられませんでした。しかし村上は日本のためにすべての料理のレシピをまとめ、300人の料理人が同じように料理を作れるようにしたんです。オリンピックの食事において一番大事なことは、選手たちが最高のコンディションで競技に臨み、ベストの結果を残してもらうこと。そのためにはなすべき事を全力でなしとげたのでしょうね。

1964大会で使用されたメニュー、食堂サービス手帳、入場券【1000 DAYS TO GO! COLLECTION 編集部】

――食堂の運営の成功に関して、村上さんだからこそできたのではないかと感じていることはありますか?

村上は厳しい人ではありましたが、同時に懐の広さと包容力をも兼ね備えていたように思います。この人についていけば間違いないというオーラをまとっていて、そばにいてくれるだけで安心できるような人でした。だからこそ、全国から集まった料理人たちの気持ちをひとつにできたのではと思います。

また村上は常々"料理は愛情と工夫と真心の3つが大事"だと口にしていました。最初は戸惑いも多かったであろう初対面の料理人たちの気持ちがひとつになり、最後はお互いに心を通わせた兄弟のような間柄になったのは、村上の信念ともいえるこの言葉の力も大きかったのではないかと思います。

代々木選手村閉村式終了後の村上信夫シェフの胴上げ(1964年11月5日)【写真提供:帝国ホテル】

――選手村の食堂での料理によって、日本が海外にアピールできたものはあったと思いますか?

日本の食材のおいしさや料理のきめ細やかさは、外国の選手や関係者にしっかりアピールできたと思います。それまで日本についてあまり知らなかった人たちが、日本はこんなにおいしい食べ物がある素晴らしい国だという認識を持っていただけたということは、とてもうれしいことだと思います。

――東京オリンピックが今の日本にもたらしたのは、どんなことだと思いますか?

日本人がこれだけできるんだという自信ではないでしょうか。戦争によって、それまで負い目を感じていた日本人が胸を張って暮らしていけるようになったのは、東京オリンピックのおかげだと思います。また、選手村で働いた全国の料理人たちが、オリンピック後に地元に戻り、選手村で学んだ料理を広めてくれたことで、本格的な西洋料理が全国に浸透していったこともオリンピックレガシーのひとつだと思います。日本の食文化のレベルアップにつながったと思います。

田中健一郎(たなか・けんいちろう)

【1000 DAYS TO GO! COLLECTION 編集部】

株式会社帝国ホテル専務執行役員・総料理長。1950年生まれ、67歳。48歳の時に第13代料理長に任命された。


▼ライタープロフィール

1000 DAYS TO GO! COLLECTION 編集部
「1000 DAYS TO GO! COLLECTION」は、「スポーツナビ」と「Tokyo graffiti」が共同編集するコラボ特設サイトおよびブック。この特別編集コンテンツは、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の開催まで1000日前の節目となる10月28日(土)と11月29日(水)の両日をつなぐ約1カ月間に行われるさまざまなイベントや、そこに集う来場者、アスリート、アーティスト、関係者等あらゆる人々を「1000の出会いと1000の想い」をテーマに取材し、記事化します


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