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東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2017.10.26

マラソンでの勝負を決めた設楽悠太 「記録よりも日本人に負けない選手に」

ベルリンマラソンで自己ベストを更新

今年2度のマラソンレースで、積極的な走りを見せた設楽悠太。20年東京五輪へ向け、成長を見せる【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 2019年9月以降に開催される、東京五輪マラソン代表選考会の「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」へ向けた「MGCシリーズ」が8月から開始。その中で、設楽悠太(ホンダ)が自身2回目のマラソンとなるベルリンマラソン(9月24日)で、自己記録の2時間9分3秒で6位となり存在感をアピールしている。

 初マラソンだった今年2月の東京マラソンではインパクトのある走りを見せた。先頭集団が世界記録を上回るペースで走る中、10キロ過ぎからは単独で集団を追いかけ、中間点は先頭と33秒差の1時間1分55秒で通過。25キロまでは日本記録を大きく上回るペースで走った。

 35キロからは5キロのラップタイムが16分41秒と脚色が鈍って井上大仁(MHPS)と山本浩之(コニカミノルタ)に抜かれて日本人3番手の11位となったが、記録は2時間9分27秒。前半をハイペースで突っ込みながらも、うまくまとめるレースをしたのだ。

「東京マラソンの日本選手は集団でレースを進めて後半に追い上げるような展開が多いけど、それだと勝ち目はないし、日本選手でも攻めのレースをしなければ戦えないと思って。それを誰かがやらなければいけないと思ったし、僕がやったことでほかの選手もやってくれるようになると考えていました。だから記録にはこだわらずに最初から攻めていって、後半潰れてもいいという気持ちで走りました。でもあそこで2時間9分台で走れたので、これから後半の失速を抑えられるようになれば今のタイムより1分以上は良くなると思います。将来的には日本記録を出すことを目標にやっているので、焦らずに少しずつ自己記録を縮めていければいいと思っています」

雨の影響で失速も「これもマラソンの難しさ」

ベルリンマラソンでは後半の失速はあったものの自己ベストを更新。最低限の走りを見せた【写真:ロイター/アフロ】

 初マラソンの東京では、ゴールまでを計算して走ったわけではなかった。先頭集団はハイペースで入ったが、まずは自分が行けるところまで行こうとだけ考えていた。

「東京は中途半端なレース展開になってしまったが、あれは僕にとっていい経験になったというか、ひとりで前を追う難しさを知るレースにもなったので。だから2回目のベルリンでは第2集団でレースを進めて、後半粘れる走りをすればいいと思っていました」

 こう話すようにベルリンでは最初の5キロを14分51秒で入り、その後も20キロまでは5キロ15分を切るペースで進み、中間点通過は1時間2分57秒だった。

 だが後半は雨の影響で路面が滑ったのに苦しんでそこで力を使ってしまい、終盤の失速につながったという。30キロ以降は15分43秒、16分17秒という5キロのラップタイムで走り、失速はしたがそれでも最低限の目標であった自己記録更新は果たした。

「欲を言えばもうちょっといきたかったというのはあるけど、これもマラソンの難しさだと思うので。所属するチームにはマラソン経験者も多くて『あとは経験を積むしかない』と言われているので経験を積み、もっと上の大会でしっかり勝てるような選手になりたいと思います」と設楽は言う。

疲れが残った中でのハーフ日本記録更新

設楽にとって大きな成長の証となったのはハーフマラソンの日本記録更新でもあった。「まさか日本記録まで行くとは」と自分でも驚きの結果だったと話す【スポーツナビ】

 その中で収穫はハーフまでは余裕を持って走れたことだった。1週間前にはチェコでハーフマラソンを走り、1時間0分17秒の日本記録も更新し、自信があった。

「7月のホクレンディスタンスチャレンジ以来、試合間隔も開いていたので、マラソンの前に1回試合の雰囲気を味わっておきたかったというのがありました。初マラソンの東京の前も1月下旬に都道府県対抗駅伝に出て2月上旬には丸亀ハーフに出ていたように、僕は試合に出て作っていくタイプなので、チェコのハーフマラソンもスタッフに『ベルリンの2〜3週間前くらいにハーフマラソンの試合はないですか』と聞いて、『1週間前ならこういうレースがある』と言われて出場しました。ただあの時、本当は15キロで止める予定にしていたのですが、15キロの通過タイムを見たら記録も狙えると思ったので。そこからは特に無理をしてペースを上げることもなく走ったら、記録も付いてきたという感じでした」

 結果は2月の丸亀ハーフで出した自己ベスト(1時間1分19秒)を1分2秒上回るものだった。

 当初の予定としては1週間後のマラソンを意識して1キロ3分切りのペースを目安にしていたが、集団で走っていると2分50秒のペースでリズム良く走れると感じ、10キロまではそれぞれ5キロを14分4秒、14分6秒で走った。そのあとの5キロは14分19秒かかったが、15キロ通過は42分29秒。まだ十分に自己記録は狙える範囲だと考え、そこからはマラソンのことも考えて1キロ2分55秒程度のペースで抑え目に走ったという。

「まさか日本記録まで行くとは思っていなかったのでビックリしましたが、あのレースは3日前に30キロ走をやった後だったので、疲れがある中でどれだけ走れるかなと思っていたので。それであの記録で走れたし、マラソンで世界と勝負するためにはハーフも1時間1分台で通過しなければと思っていたので自信になりました。さらにベルリンでも最低限の目標であった自己記録を更新することができたので、自分の中でもこの調整法は間違っていないと感じることができました」

2時間6分16秒は簡単な数字ではない

ナイキのイベントで、モハメド・ファラー(中央)とトークイベントを行った。ともに今後はマラソンに挑戦していくことになる【写真提供:NIKE】

 ネットでは『プチ川内』と言われているが、「別にマネをしているわけではないから」と苦笑する。学生時代はマラソンまで意識していた訳ではなく、社会人になってから徐々に意識するようになってきた。

「マラソンをやると決断をしたのは、15年の世界選手権と16年のリオデジャネイロ五輪に出て、トラックではもう勝ち目がないと実感してからでした。前から勝てないとは分かっていましたが、『やってみなければ』という気持ちもあったので。でもマラソンだったら可能性はあるし、少しは勝負できるかなと思ったので、まずは試しに走ってみようかなと思って東京に出ました。そこで結果を残せたので、これから1年に1本ずつ記録を縮めていけば少しは勝負できるようになるかなと考えるようになりました」

 学生時代は故障も多く、練習に関しても「これをやれ」と頭ごなしに言われるとやりたくなくなるタイプだったと設楽は言う。だが社会人になってからはチームのスタッフに相談しながら自分がやりたいようにやらせてもらえる環境になった。それで故障もなくなり、練習を継続できるようになったのが結果にもつながっているという。そんな中でも自分の今の力を見極め、しっかりと自分の足元を見ているのも彼の強みだ。

 だからこそいきなり2時間6分台、5分台ということも口にしない。

「正直、マラソンを2回走って強く感じたのは、2時間6分16秒という日本記録(04年、高岡寿成が記録)は、そう簡単に出る数字ではないということです。周りの人は日本記録、日本記録と言っているけど、そう簡単ではないぞと。僕自身も一気に伸びるタイプではないので、少しずつ記録を縮めていければいいし、日本記録を狙うというよりもレース経験を積みながら少しずつ自己記録を伸ばしていけば、いつか自然と出るようになると思っています。周りの選手たちは東京五輪でメダルなどと高い目標を掲げているけど、実際は3年後になってみないと分からないし、いきなりとんでもない選手が出てくるかもしれない。それでも僕はそんな選手に負ける気はないので。1レースごとに強くなっていき、記録よりも日本人には負けないような選手になりたいと思っています」

兄・啓太と同じ日本代表のユニホームを着て

兄・啓太と「2人で世界の舞台に行くという目標を達成できるようにしたい」と話す。いつか同じ日本代表のユニホームを着て走ることが目標でもある【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 とりあえず今は、「前半から行く」スタイルは崩さないようにしたいと考えている。見ている人を楽しませたいし、いつまでも「日本人は弱い」と言われ続けたくないからと。

「誰かが記録を出せば、絶対にそれに続いて記録を出す選手が出てくると思います。そのためにも自分たち"91年代"がしっかりやっていかないと、下の世代も伸びてこないので」

「昔は兄の啓太(日立物流)に対しても『兄貴だから』と言うのがあったけど、それではダメだなと思って......。大学時代は世界を目指すというより2人で箱根駅伝の優勝を最大の目標にして4年間を過ごしてきました。社会人になってからはお互い別の道に進んだけど、世界の舞台で同じユニホームを着て走ることが僕たちの目標にもなっています。啓太も今年マラソンに挑戦する予定で、周囲の声を気にすることなく自分の走りをすれば絶対に結果は付いてくると思うので。2人で世界の舞台に行くという目標を達成できるようにしたいと思います」

 できれば今年中にもう1回マラソンを走りたいとも話す設楽。「経験を積みたい」という貪欲な気持ちを持って、マラソンに取り組み始めている。


▼ライタープロフィール

折山淑美
1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。


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