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東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2021.07.31

レスリング男子、日本の「お家芸」復活なるか。日本のエース・文田健一郎が37年ぶりの金メダルに挑む

写真:森田直樹 アフロスポーツ

日本の"お家芸"復活なるか。レスリング男子は、かつてはオリンピックで金メダルを量産し、"お家芸"と呼ばれた時代があった。長く低迷の続いたレスリング男子日本代表にとって、東京2020で金メダルが期待されているのが文田健一郎(ミキハウス)である。世界選手権で2度の優勝を果たしている25歳が、この大舞台で実力を発揮し、日本に37年ぶりとなるグレコローマンスタイルでの金メダルをもたらせるか、注目が集まる。

1年延期して心のコントロールに苦しむ

爽やかな笑顔が印象的な文田健一郎は2017年と2019年の世界選手権優勝者。つまりオリンピックを前に2度も世界の頂きに立った経験を持つ。それだけに、早い段階から「東京オリンピックで金メダルを狙える逸材」としてスポットライトを浴びていた。上半身だけで攻め合うことでダイナミックな投げ技が出やすいグレコローマンスタイルにおいて、日本代表の金メダル獲得は1984年ロサンゼルス・オリンピックでの52 kg級・宮原厚次まで溯らなければならない。
37年ぶりに日本のグレコローマン代表として金メダルを獲得するという使命を課せられた25歳のオリンピアンは、当初予定されていた2020年の自国開催に合わせて心身ともにキッチリと試合の日時に合わせて調整していた。トップアスリートといえども、ひとりの人間だ。1年延期が発表された時には、「ハイ、そうですか」と素直に受け入れることはできなかった。心のコントロールに苦しんだ。

「もちろん1年後に向けて練習量を上げていかなければいけないんですが、どこかで抜くこと(息抜きや休息)も必要。今までは自分の中でリズムを作れていましたが、開催日時が延びたことで、それを崩されてしまった」

文田はモチベーションが切れたり、気持ちを乗せられなかったりした時期があったことを打ち明ける。その一方で「自分を見つめ直すためにはいい時間だった」とも捉えている。

「今までは『周りがやる』から、あるいは『こういう指示が出たからやる』という感じで、あまり考えずに練習に取り組んでいたところがあった。でも、もう今年僕は26歳になる。かなり長い時間、レスリングをやってきて、自分の必要なことと必要でないことが少しずつ見えるようになってきた。やっぱり納得できていないことをやるとケガにつながるというふうに感じてきたので、そういうところは少しずつ自分でコントロールするようになってきましたね」

2019年世界選手権・男子グレコローマンスタイル60kg級決勝(写真:森田直樹 アフロスポーツ)

押す力も大事だが、引く力を重視

取捨選択ができるようになったがゆえに、文田は練習の拠点としている日本体育大学での合同練習が終わったあと、進んで自分だけの補強練習に取り組むようになった。

「全体メニューとは別で自分に足りないところとか、もうちょっとやりたいと思うことに取り組むようになりました」

もっとも、実はこうした傾向は1年延期になってからスタートしたというわけではない。初めて世界選手権で優勝した翌2018年から、専門のフィジカルトレーナーに師事したことも大きな転機となった。それまでは前に出ないで相手と組み合うファイトスタイルで戦っていたが、それに限界を感じ始めたのだ。

「これだけでは戦えない」

世界選手権で優勝しても、天狗になることはなかった。逆に将来を見越す洞察力があったからこそ成長し続けることができたのだろうか。東京オリンピックに向け、文田は引く力を養うことを計画した。

「レスリングでは押す力も大事だけど、自分は引く力を重視している。僕は重りをつけた上で懸垂するんですけれど、最初は20キロの負荷でギリギリできるレベルだった。でも今はマックスだと55キロくらいの重りをつけて懸垂ができるようになった。引く力がすごくついたという実感がありますね」

もう少し具体的に説明を求めた。

「引く力が強くなったおかげで、前に出られるようになりました。もっと言うと、レスリングで引き込むようにすると、相手は引き込まれないように勝手に後ろに下がってくれたりする。おかげで自分は今まで以上に試合の主導権を握って戦えるようになりました」

文田の代名詞となっている反り投げ、あるいはグラウンドでポイントを稼ぐ重要なテクニックのひとつであるローリングも、クラッチを組んで相手を引き込む際には引く力が必要となる。

相手の背中をとり後ろに投げる「反り投げ」。写真は2017年全日本選手権の時のもの(写真:長田洋平 アフロスポーツ)

「広背筋を使って引き寄せる動作は自分のレスリングにすごく活きることは前々から感じていた。なので、トレーナーにもお願いして、ずっと重点的に強化してきました」

盟友・太田忍と魂のスパーリング

日体大で行っていた強化合宿では、予期せぬ援軍が現れた。かつて文田と日本代表の座を競い、現在は総合格闘家として活躍する太田忍が2度に渡って駆けつけてくれたのだ。文田は「本当に久しぶりに忍先輩と肌を合わせ、やっぱり強いと思いました」と興奮を隠さない。

文田と2018年全日本選手権で戦う太田(右)(写真:YUTAKA アフロスポーツ)

「正直、(アマチュアレスラーとしては)落ちていると思っていたけど、戦い方や技のキレが全然変わっていなかった」

最初に太田が訪れた時、文田はかなり追い込んだ練習をしていた。

「その時は自分からポイントをとりにいって、『多少無理な体勢からでも攻めなければいけない』みたいな感じになっていた」

オリンピック直前という空気がそうさせるのか、周りからのアドバイスもそんな感じになっていた。そうなると、文田の視界も知らず知らずのうちに狭まっていく。

「結構焦りみたいなものを感じていた。追い込まれたようなスタイルになっていた」

果たして、太田とスパーリングをすると、文田は自らカウンターを狙って攻めたところで、逆にカウンターを決められギャフンと言わされた。
スパーリングが終わると、太田は指摘した。

「文田、無理して攻めているよ。お前の形ではなくなっている」

太田は言葉を続けた。

「無理に攻めるのではなく、今までお前が強みにしていた部分で戦え」

文田は2度もハッとさせられた気分になった。そして我に返った。

「そこから自分のペースというか、スパーリングでも6分間という試合時間を(フルに)使って試合を組み立てよう。その中で『あと何点とらなければいけない』という発想ではなく、6分間を使って結果的に勝つ試合をしようと考え方を切り換えるようにしました」

1週間後、太田が日体大の練習場を再び訪れると、文田は礼を言った。

「忍先輩に自分の戦い方をしろと言われたおかげで、調子を取り戻せました」

太田のアドバイスは効果絶大だった。そして、その日に行ったスパーリングでは雪辱を果たす。
文田は「レスリングの基礎を教えてくれたのは父(元全日本レスリング選手権2位の腕前で、現在は韮崎工業高校レスリング部監督を務める敏郎さん)であり、日体大レスリング部の松本慎吾監督」と前置きした上で、「研ぎ澄まされた本当に最後に世界で勝つ必要なものは忍先輩から学んだ」と打ち明ける。

「今まで忍先輩が自分に身につけさせてくれたものを持って東京オリンピックに挑みたい」

画像制作:Yahoo! JAPAN

(文・布施鋼治)


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