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東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2018.12.22

新国立競技場はなぜ「木」のスタジアムなのか 建築家・隈研吾氏が語る理由

2019年11月30日の完成を目指し、建設が進んでいる「新国立競技場」。「杜(もり)のスタジアム」と題し、木材と鉄骨を組み合わせた構造の屋根や庇(ひさし)によって、明治神宮外苑とも調和するデザインを採用している。

なぜ、スタジアムで「木」を用いた建築なのか。
「大きな建物はコンクリートで造るという20世紀の常識を壊したい」と、設計に携わった隈研吾氏は語る。

競技場の建設にとどまらず、明治神宮外苑、そして東京の街の未来にまで話は及んだ――。

新国立競技場を「木」のスタジアムとした理由

――現在、新国立競技場の建設はどれぐらい進んでいるのでしょうか?

 半分を超えたぐらいですね。一番ドキドキしていたのが、今回使用するスギの木材はわずかに白い染色を施していて、それが明治神宮外苑の緑、全体の風景の中でどうマッチするのかということ。その木のテクスチャーが見えてきたときに、もう大丈夫だと安心しました。

建設工事の進む新国立競技場(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

――新国立競技場の設計にあたって「木」のスタジアムとしたのはどういう理由だったのでしょうか?

 大きな建物はコンクリートや鉄で造って、小さい住宅などは木で造る、というのが20世紀の常識でした。僕はその常識を壊したいと思っています。今回のプロジェクトの一番の目的は、大きな建物も木を使うことができるし、もっと人間のための空間として取り戻すことができると見せることだったんです。新国立競技場は、巨大な集成材を使って建てる大型木造ではなく、日本の住宅でも使われている10.5cm幅の小さな木材を使っています。日常的に使われていてどこでも手に入る材料でも大きな建物を造ることができる。それはただ技術的な可能性を見せるだけじゃなくて、今後の社会の在り方に対する一つのヒントになると思っています。

――特別なものではなくて、どこの工場でも生産できる木材で造るというところに隈さんのこだわりがあるんですね。これまでいろんなスタジアムを見てきたと思いますが、何か感じたことはありましたか?

 どこのスタジアムも、街から見える外側のことが考えられていないと感じます。コンクリートの骨組みで殺風景のまま放置されてしまっている。だから新国立競技場では、木という素材の持つ温もりや優しさを感じられるようにしたいなと考えました。
街づくりは自分と関係ない、専門家がやるものと考えている人が多いのではないかと感じますが、やっぱり僕らすべての人が街に対する責任を持っている。例えば何か新しい建物を造ったり、何かのプロジェクトをやったりすれば、街は絶対に変わるわけです。これからの時代、そういうことをみんなが意識して、街の中に住んでいかなきゃいけないと思っているんですよね。

スタジアムは街や市民と一体であるべき

――新国立競技場からすぐ近くの外苑前に事務所を構えていますね。

 僕が建築家になりたいなと思ったのは、1964年の東京オリンピックで丹下健三さんが設計した国立代々木競技場の第一体育館と第二体育館に連れて行ってもらった小学4年生の時でした。それが2020年のオリンピックに関わることになったわけですから、巡り合わせを感じますね。1964年当時はコンクリートでできた建物が高度経済成長期の象徴でかっこいいと思っていたんですが、2020年はその先、少子高齢社会における幸せの象徴にしたいなと考えています。

また明治神宮外苑というのは、学生の頃から僕にとって遊び場で、本当に深い思い入れがあります。国立競技場の隣にあった外苑テニスクラブで汗を流し、競技場の中に併設されていたスポーツサウナという安いジムで体を鍛えていた。あのあたりの雰囲気というのは、杜なんだけど、きれいに守られている杜じゃなくて、生活の一部が入り込んでいる。そういう「村の杜」という感じがすごく好きだったので、新国立競技場を通じてその良さを世界にアピールできたらいいなと思ったんですよね。

――外苑の歴史や成り立ちというのはかなり意識されたんでしょうか?

 そうですね。外苑の歴史を振り返ると、1924年に旧国立競技場の前身にあたる明治神宮競技場ができて、その後、絵画館などが建てられていきました。明治神宮のある内苑が神様の杜であるのに対して、外苑は市民の杜だという考え方がこの当時からあったというのは、すごく先進的な発想だと感じます。そうした思いを僕らがちゃんと継承して、市民の杜として、もっと市民と杜が一体になるように考えていかなきゃいけないなと思います。

――今回、新国立競技場を造る上ではどのようなことを心掛けたのでしょうか?

 一つはやっぱり街との関係をつくること。「空の杜」という1周約850mの空中の遊歩道を造って、なるべく市民に開放したいと考えています。前の国立競技場は、職場が近いので毎日その前を通っていたんですけど、コンクリートの大きな建物でなんだか怖かったんですよね。それで今回は怖くない競技場にしようと思って、遊歩道を造って街の人たちが歩いたり走っていたりすれば、スポーツの試合をやっていない時にも「人け」があって楽しいかなと。
また、雨水を利用して循環させることで、せせらぎをつくりたいという思いもありますね。

明治神宮のある内苑には池があるんですが、外苑はこれだけ大きな杜なのになんだか水が足りないような気がするんですよね。だからせせらぎみたいなものがあったらいいなとずっと思っていて、高度成長期に埋め立てられた渋谷川のせせらぎの記憶を継承できればと考えています。

――スポーツを「見る」という観点では、どのような部分にこだわられたんでしょうか?

隈 アスリートとの距離を近くすることですね。断面の設計が一番気を使っていて、すぐそこにアスリートを感じられるよう、建物の高さを低くして臨場感が出るようにスタンドの勾配を計算しています。実際に現場に行って見ると、ものすごく臨場感がありますよ。

これからの東京は、小さく幸せにしぼむべき

――2020年やその先を見据えて、これから東京の街はどう変わっていくべきだと考えていますか?

 中国や東南アジアは今でも大きくて目立つものを造りたいという思考が強く、大きさで勝負してももはや東京はアジアの元気のいい都市に勝ち目はありません。これからの東京は、いかに小さく幸せにしぼむかということを考えた方がいいと思います。少子高齢化でしぼんでいくという課題と、大災害が起きるという課題があるわけです。例えば木のような温もりのある材料や、布や紙のような柔らかい材料を使うことで幸せにしぼんでいき、かつ安全な街にする。二つの課題に耐えられるような街をどうやってデザインするかということを考えていったらいいんじゃないかと思います。

日本は世界に先駆けて少子高齢社会を突き進んでいますよね。少子高齢社会における幸せのモデルを世界に見せることができれば、1964年のイケイケだった頃の日本とはまったく違う、新しい分野のリーダーとして生まれ変わった姿を感じてもらえるんじゃないかと。日本の伝統的な社会の在り方を見ると、限られた国土や資源の中で小さな幸せを求めていくことで日本文化は洗練されてきたわけです。だからむしろ日本にはそうした社会の姿の方が向いているんじゃないかなと僕は思うんですよね。

今の行政を見ていると、築地をどうするかとか、汚染された土壌をどうするかとか、そういった局所的なことばかりを見ていて、これから東京全体がどうなっていくべきかという全体的な観点で議論をしていない。もっと大きなビジョンを打ち出していく政治家が出てきてほしいなと思っています。
世界の流れを見ても、都心には超高層ビルが並び立ち、郊外に住宅地があるという街の姿ではなくて、住む場所と働く場所が一つになり、自動車もだんだんとなくなって・・・・・・とコンパクトシティに向かっていっている。ただ、実は東京はもともとそういう街だったわけですよ。江戸時代はある種、コンパクトシティの理想モデルだった。僕らはそこから何を学べるかというのを考えた方がいいかなと思います。

――そこで木という素材の持つ温もりや優しさに大きな意味が出てくるんですね。海外からは、日本の木の建築はどう見られているのでしょうか?

 海外に行くと、素材に対する感性は日本人が一番だよねとか、温もりや優しさを感じられる木の建築が欲しいなどと言ってもらえることはすごく多くあります。ただそこで"和"を押し出して、数寄屋造りのように特別にすごいものとして見せようとするのはよくないと考えています。木というのは、材料を自分で組み立てて、バンバンバンって造ることができる。そうした使い方の方が、これから日本の木の建築を世界に広めていくにはいいんじゃないかと思います。

――最後に、隈さん自身の今後の目標を教えてください。

 自分はある種の伝道師みたいな感じで、世界のいろんなところに行ってみたいです。日本の建築のやり方は決して特別なものじゃなくて、どんな場所でも地元の材料を使って、安くて簡単にできるやり方なんだということを、世界の人たちに伝えていきたいと思っています。そのためには自分が現地に直接行って、実物を示すのが一番いいかなと。だから知らない場所からオファーが来ると、ついつい「いいよ」って引き受けてしまいます。トルコやコスタリカの山の中の仕事はすごく大変でしたけどね(笑)。


(2018年11月 取材・文:岩本義弘 撮影:花井智子)

<プロフィール>
1954年生。東京大学建築学科大学院修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。現在、東京大学教授。
1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。大学では、原広司、内田祥哉に師事し、大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞、他、国内外で様々な賞を受けている。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、柔らかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築の在り方を追求している。


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