ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
スポーツを通じた絆を、
競技を支える人たちのドラマを、
世界に誇る日本の文化や芸術を、
誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
さまざまな視点で切り取り、伝えていく。
ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2017.12.11

「スポーツの最大の魅力は、多くの人を動かすチカラ」
中田英寿が語る、スポーツが社会にできること

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の開催に向かう中で、我々日本人にとってのスポーツは、これまで以上に身近な存在になってきています。今回は、スポーツが社会にできること、というテーマで、長年にわたり精力的にスポーツを通じた社会貢献活動を行ってきた中田英寿さんに、お話を伺いました。

──まず、スポーツを通じた社会貢献活動をしている人と言えば中田英寿、というくらい、ヒデさんは継続的に活動に取り組まれていますが、最初にそういったことを意識したのは、いつ頃なんでしょうか?

中田 改めてそう言われると、すぐには思い出せませんが、たぶん、2000年代前半に、何度か出場させてもらったチャリティーマッチのあたりからだと思います。FCバルセロナのホーム、カンプ・ノウで、欧州選抜vs.世界選抜をやったのは特に印象に残っています。当時はまだ、チャリティーマッチが一般的ではなくて、僕自身、試合の意味とか全く分からずに最初は参加していたのですが、違うクラブの選手、違う国の選手が一緒にプレーして、コミュニケーションを取れる場は貴重だと感じました。とにかく、楽しかった記憶が残っていますね。

──当時、アジアの代表として、ほとんどのチャリティーマッチに世界選抜のメンバーとして呼ばれていましたよね。

中田 そうですね、本当にたくさん呼んでもらいました。それで、そういう試合に参加しているうちに、こういうやり方にもいろいろとあるんだな、ということを学ばせてもらいました。そういった試合を何度か経験した影響も大きかったですし、あとは、2006年に現役を引退してから世界中をずっと回っていた時に、さまざまな地域に行って、それこそ紛争地域にも行ったり、アフリカの貧困地域に行ったりして、とにかくたくさんの人の話を見聞きした経験が大きかったですね。

2008年 コンゴ難民キャンプにて

──世界中を回った時のことで、特に印象に残っていることはありますか?

中田 中東に行った時に、クルド人の難民キャンプに行ったことがあったんですが、当時すでにかなり緊迫した状況だったにもかかわらず、サッカーボールを持っていくと、クルド人はもちろん、警備のアメリカ軍の兵士まで一緒になってボールを蹴っていたのが印象的でしたね。アフリカ諸国でも、サッカーを通じた活動を本当にたくさんやっているのを見て、スポーツの競技としてだけではない力を改めて感じました。

──そういった経験があって、2008年に横浜で行われた日本選抜と世界選抜との試合(TAKE ACTION!2008)につながっていくんですね。

中田 そうですね。僕自身が企画した試合は、あのときが初めてでしたけど、日産スタジアムに6万人以上が入ってくれて、来てくれた選手たちもみんな楽しいって言ってくれましたし、何より、僕らがボールを蹴ることで、社会に貢献できる、というのが実感できて、うれしかったですね。選手も観客もみんなが楽しんで、つながって――。スポーツができる社会貢献の、一つの理想の形だと感じました。

2008年 中田さんが代表を務めるTAKEACTION財団が行ったチャリティーマッチ

──あの後、日本でもチャリティーマッチという仕組みが一般化して、日本全国で実施されるようになりました。

中田 正直、あの試合をやった当時は、まだ制度や仕組みが全く整備されていなかったので、今思い出しても本当に大変で、試合開催の危機も何度もありました。でも、結果的に、あの試合をやったことで、日本でも少しずつチャリティーの文化が根付いてきたので、あの時の苦労も少しは報われたと思っています。

──日本では、チャリティーマッチを含めた社会貢献活動は、「ボランティアでやるべき、利益を上げるなんて論外」という風潮が今でもありますが、当時は今以上にそれが強かったと記憶しています。一方で、世界では、きちんとしたビジネスとして、社会貢献活動に取り組むのが当たり前になっている。日本でも、以前よりは理解されてきている、と感じられていますか?

中田 いや、まだまだ本当の意味では理解されていないと思います。2011年の「3.11」の後に、チャリティーマッチや社会貢献活動に対する見方が、かなり変わったとは思いますが、税制問題含めて、まだまだ時間がかかると思います。社会貢献活動というと、誰かを助けるとか、お金を寄付するという発想の人が正直まだまだ多い。実際は、社会貢献活動をやることで、やる側の人もたくさんのものを得られるということが知られていない。僕自身、社会貢献に時間もお金も使っていますが、それで誰かに何かをしているという意識は全然なく、むしろ、得るもののほうが圧倒的に多いと思っています。人とのつながりだったり、経験だったり、お金で買えないすばらしい対価を受け取っている。そこを、多くの人にぜひ知ってほしいと思います。

南アフリカ・ダーバンでのボール配布教育活動プロジェクト(C)Georgina Goodwin-TAKE_ACTION_FOUNDATION

──今回発表した「HEROs」プロジェクトを発足したのも、そういう思いがあったからですか?

中田 社会貢献にはいくつかの問題があると思っています。特にその性質上、自分でPRがしにくいため、多くの人に正確に情報を伝えにくいこと。結果、同じ思いを持っていても、一緒に活動しづらいこと。同時に、周りから見ても誰がどんな活動をしているか分からないこと。なので、それぞれの競技のアスリートが個別にやってきたことを、みんなで情報共有して一緒にやることによって、それぞれがやっている活動もより多くの人に知ってもらえる機会が増える。理想は、アスリートはもちろん、一般の方々みんなが喜んで参画できるプラットフォームになることだと思います。みんながつながって、楽しめて、いろいろなものを得られる。スポーツの最大の魅力は「多くの人を動かすチカラ」だと思っていて、このプロジェクトでは、それが最大化できる可能性があると感じています。

「HEROs」プロジェクト発表会(2017年10月30日)

──「HEROsアンバサダー」として参加するアスリートが、ビッグネームぞろいで、正直驚きました。

中田 みんなきっと、こういうものを求めていたのではないでしょうか。それと、今回のプロジェクトは、日本財団という日本で最も信頼されている財団が本気でやってくれていることがやっぱり大きいです。日本財団がメインでやることによって、想像以上に多くの人たちを最初から巻き込めていますし、仮に僕が一人で動いていたとしたら絶対にこんなにたくさんの人たちを巻き込めませんでした。これだけのメンバーと、そしてこれから参加してくるメンバーたちが、スポーツの持つ力を活用して多くの人を巻き込んで動かしていく。このプロジェクトは、数年後には、世界に誇れる、モデルケースになる可能性があるプロジェクトだと思うので、個人的にも本当に楽しみです。

──これがモデルケースとなって、世界で異なる競技のアスリートが横でつながる活動が増えたらと思うと、ワクワクしますね。

中田 社会貢献の活動だけではなくて、実際のプレー面でも影響は出てくるのではないかと思っています。やはり、他の競技のアスリートから受ける影響は非常に大きいですし、また同じ競技でも現役と引退した選手もつながっていくと思います。このプラットフォームがスポーツの可能性をより広げるものになることを期待しています。

(2017年10月 取材・文:岩本義弘 撮影:花井智子)

<プロフィール>
中田英寿(なかた・ひでとし)
1977年生まれ。サッカー日本代表として1998年フランス、2002年日韓、2006年ドイツと3大会のワールドカップに出場し、ドイツ大会を最後に現役引退。引退後100以上の国や地域を旅した経験から、世界の問題点をできることから解決しようと、2008年に「TAKE ACTION!2008+1」キャンペーンを立ち上げ、2009年、一般財団法人 TAKE ACTION FOUNDATIONを設立。同年より、国内47都道府県の旅を始めると、これをきっかけに伝統文化・工芸などを支援するプロジェクトを財団でスタートした。2015年に「株式会社 JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。

<HEROsプロジェクト公式サイト>
http://sportsmanship-heros.jp/


Yahoo! JAPAN
みんなの2020

スポーツや文化・芸術、社会貢献に関する、2020年に向けた「挑戦」を伝えます。 ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。それが、“みんなの2020”です。