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東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2019.06.12

女子バレー日本代表「エース」の称号を背負うのは? 古賀紗理那、黒後愛、石井優希が語る思い

「私がエースだ」(左から黒後愛選手、石井優希選手、古賀紗理那選手)

 女子バレー日本代表のエース。そう聞いて思い浮かべる姿は何か。どんな状況でも1人で打ちまくる選手か、はたまた攻守に長けたオールラウンダーか。
 1964年、かつての東京五輪の頃とは同じ「バレーボール」と言っても、競技の質や世界の勢力図も大きく変わった。もはや世界を見渡せば、大きいだけで雑な選手などトップレベルにはほとんど存在しない。体格差だけでなく、技術や組織力でも勝るチームが数多くある中、中田久美監督のもと「伝説」をつくるべく新たな歴史を刻もうと挑む選手たち。
 東京五輪でのメダル獲得を目指す女子バレー日本代表で「エース」の称号を背負うべく、鍛錬に励む3人の選手に話を聞いた。

「ポスト木村沙織」の筆頭、古賀紗理那

 スポーツの世界でしばしば用いられる、「ポスト○○」。バレーボールの世界で言えば、近年最も○○に名を用いられたのは木村沙織だろう。高校生だった2004年のアテネ五輪に出場し、北京、ロンドン、リオデジャネイロと4度の五輪に出場を果たした。12年のロンドン五輪では84年のロサンゼルス五輪以後、28年ぶりに銅メダルを獲得したエースだ。攻守の要で得点源としての活躍もさることながら、人気の面でも長きに渡り日本バレーボール界の中心であった木村が17年に引退した後は、国際大会が開催されるたび「ポスト木村沙織」や「木村沙織の後継者」といううたい文句がズラリと並び、木村と同じポジションを背負う選手の名が取り沙汰された。
 おそらくその筆頭と言えるのが、古賀紗理那だ。熊本信愛女学院高在学時から、アンダーカテゴリーの日本代表として注目を集めた。卒業後はNECに進み、15年のワールドカップにも出場。当時の日本代表主将を木村が務めていたこともあり、次世代を担うエースとして古賀に注目が集まった。

「悔しさを味わいたくない。そのためには自分が変わらないと」

 だが、16年のリオ五輪は最終メンバーから外れた。
「悔しかったです。今振り返れば、覚悟が足りなかったし、意識が低かったから外されて仕方ないと思うけれど、でもあの時はとにかく悔しかったです」
 今でも思い出すと涙が出そうになる、と言うのが、メンバー落選を聞かされた夜のこと。翌朝にはチームを離れ、帰京する。合宿の最中にいるチームメイトに別れと感謝を告げながら一部屋一部屋回る。泣かないように、と腹筋に力を入れたが、どうしてもダメだったのが木村の顔を見た時だった。
「部屋に入った時点で沙織さんの目が真っ赤で。『紗理那は埋もれちゃダメだよ。ここで諦めちゃダメだよ』って。泣かないようにずっと我慢していたのに、2人で抱き合って、めちゃくちゃ泣きました」
 だがその涙に暮れた夜から、真の意味で古賀の成長が始まった。もう二度とこんな悔しさを味わいたくない。不得手としていたサーブレシーブの練習に励み、武器とする攻撃力にも磨きをかけた。それまでは人見知りを言い訳に「自分はこうしたい」と主張せず、常に人任せで人に合わせればいいと思っていたがそれでは殻を破れない。得意とするバックアタックの精度を高めるには、どんなトスがほしいか。高さやタイミングを要求するようになり、ラリー中や苦しい場面でより積極的に攻撃へ入ることを心がけるようになった。

ラリー中や苦しい場面でより積極的に攻撃へ入ることを心がけるように

「自分が変わらないといけない」と決心

「リオの頃は、オリンピックというものの大きさもよくわかっていなかったし、今思えば意識が低かったし、覚悟が足りなかったと思います。それじゃあ落とされても当然だったし、同じことを繰り返さないためには自分が変わらないといけない。どんなボールも決める、と思って臨むのも大事なことですが、その状況で点を取ることを確実にするためにどんな準備をすればいいか。常に頭を使って、準備に時間と気を配るようになりました」
 速さが求められる際も、レシーブをした後やラリー中は万全な状態で入れることばかりではない。ならば1本目のパスで間をつくったり、打ち分けが可能な高さにトスを要求したりする。多少トスが乱れても決め急ぐのではなく、ブロックに当てたりスペースを見つけて落としたりする。「このシチュエーションでも決めてくれる」という印象付けをすることで、セッターやチームからの信頼度が大きく変わった、と古賀は言う。
「練習から『ここから上がってきても打てます』と常にいろんな状況の意識づけをすることで、セッターの中に『この状況でも紗理那なら決めてくれる』と頭に残ると思ったんです。実際に去年の世界選手権も直前合宿から積極的にアピールした結果、セッターも大事なところでトスを上げてくれたし、自分でも一番手応えを感じられた。どんな試合、セットの中にも必ず『この一本』という勝負を分ける場面があるので、そこで確実に決められる選手になりたい。それがコンスタントにできるようになれば、胸を張って『私がエースだ』と言えるようになると思うんです」

「勝負を分ける場面で、確実に決められる選手になりたい」

「エース」の称号を背負うべく進化を遂げている黒後愛

 古賀と同様、あるいはそれ以上に木村と比較されてきたのが黒後愛。高校も同じ下北沢成徳で、卒業後は東レに所属。高校時代からウェイトトレーニングやラントレを積極的に取り入れた。体づくりだけでなく高い位置でしっかりボールを叩き、2人組での対人レシーブもただ打つ、拾う、という単純作業ではなく、一本一本ミートすることや返球するボールの質など基本を重視する環境下で、スパイカーとしての技や心構えを磨いた。
 高校時代はトレーニング嫌いで有名だった木村とは対象的に、黒後はチームのストレングスコーチも「こちらが止めるまでトレーニングにも時間を割いて、やりすぎるぐらいやっていた」と振り返るほどで、その成果は日本人選手としてトップクラスと言っても過言ではないパワーが証明する。加えて、腕立て伏せならぬ「指立て伏せ」と体幹トレーニングで鍛えた成果はディフェンス面でも生かされ、女子の日本選手にとっては大きな課題とされるオーバーハンドのサーブレシーブも難なくこなす。パワースパイクばかりに目が行きがちだが、攻守のバランスに長けた選手で中田久美監督がイメージするエース像である「攻守のバランスに長けたオールラウンダー」という点でも黒後の評価は高い。

「今は壁を越えるための我慢の時期」と練習に挑む

 きわめて順調に、そして期待通りに「エース」の称号を背負う選手として進化を遂げている。多くの人々がそう評価している一方で、黒後自身は謙遜ではなく「まだまだ至らない」と、自信よりも先に課題を口にする。
「現状の自分はまだ何もしていないと思うんです。結果を残したわけでもないし、何しろチームを勝たせられたわけでもない。攻撃面では誰よりも強気でいたい、と思うけれど、まだ"これが武器だ"と言えるものはない。考えすぎだと言われるけれど、でもまだまだ、足りないものばかり、としか思えないんです」
 学生時代は点を取ることが自分の仕事で、勝つためにチームを鼓舞する。そのためには衝突も恐れず、そのぶつかり合いの中でいかに自分の武器をそれぞれがつくることができるかが大切だと思ってやってきた。だが、東レでVリーグを戦い、日本代表として新たなステージに立つと、それだけでは乗り越えられない壁に幾度も直面した。
「自分の意見を言うことも大切だけど、その人が何を考えて、何でその行動をしたか、とか。そういうところまで見て感じて自分の行動に移すことが必要なんだ、と思い知らされることばかりでした。私、今までは努力は人の目なんて気にせずやりたい時にやる、というのが当たり前だと思っていたけれど、自主練をする時も人に気づかれないように努力していたり、全部が全部、見えるものばかりじゃない。自分のことだけじゃなく、今まで以上に周りのことを考えて自分に何ができるか、何をしなきゃいけないかを考えさせられました」

「今まで以上に周りのことを考えたい」と話す

日本のエースに求められるものは圧倒的な攻撃力ではない

 今は壁にぶつかって、それを越えるための我慢の時期。黒後はそう言う。だが黒後こそが、日本代表の「エース」となるべく要素を最も持ち得ている、と言うのは監督の中田だ。
「日本のエースって、(中国の)朱婷や、(セルビアのティヤナ)ボシュコビッチのように圧倒的な攻撃力があるわけではないし、求められるのはそこじゃない。むしろ大切なのはサーブレシーブができることだったり、勝負強さ。いかにチームを勝たせられる力があるか、だと思うんです。そういう点から考えると、そこは黒後が一番かな、と。まだ波はあるけれど、反応は早いし、やろうと思えば一番力を発揮するタイプ。技術だけじゃなく、沸騰点というか、爆発して、何かを越えたところの力は一番ある選手だと思います」
 準優勝した今季のVリーグでもそうだ。2戦形式のファイナルで、初戦を制した久光製薬が圧倒的優位と見られる中、後がない2戦目、黒後の叩きつけるスパイクは前週のファイナル1戦目とは明らかに音が異なり、遠目で見ても重さが違う。ラリー中のバックアタックの鋭さ、何より「決めてやる」という気迫のこもった攻撃は圧巻だった。
 だからこそ、可能性だけで終わるのではなく、エースとして胸を張るためにこれから何をすべきか。今がまさに「勝負の時」と黒後は言う。
「オリンピックがどういうものか、今の私にはまだわかりません。でも、そこへひたすら向かって行くしかないし、とにかく耐えて、積み重ねて、本番はもうやるだけ、という状態にしたい。理想はまっすぐ伸びて上がっていきたいけれど、そのためにも今年はものすごく大事で、上がるのか、下がるのかは自分次第。どんなにすごい選手に対しても強気で攻めるチームでありたいから、そういう強い相手に対して圧倒されず、最後の1点、1本まで諦めない。全部ぶつけて、爆発したいです」

「どんなにすごい選手に対しても強気で攻めるチームで」

リオ五輪出場経験がある石井優希

 おそらく初めての五輪が東京になる古賀、黒後に対し「経験」という武器を持つのが石井優希だ。日本代表監督就任以前から久光製薬で中田の指揮のもとで戦った経験と、リオ五輪出場の経験。単に試合出場の機会を重ねてきただけでなく、勝つことの難しさを知るという面でもその「経験」は大きな武器であるのは間違いないのだが、石井自身はなかなかそれを自信に変えることができず苦しんできた。

「『経験』という武器で、柱になりたい」

「久美さんとずっと一緒にやってきたことは強みで、期待してもらってきたのに、なかなか結果を出すことができなかった。そういう弱さが、自分でも嫌でした。もともと不器用だから1つダメになると引きずってしまうし、失敗した記憶があるからなかなか切り替えられない。今までは全然、久美さんの期待に応えられる選手じゃなかったと思います」
 「崩される」と課題に挙げるが、リーグ中から徹底して狙われたことでサーブレシーブのスキルも磨かれ、得意のストレート打ちだけでなくスパイク技術も多彩だ。石井自身は「不器用」と言うが、バレーボール選手としては器用な選手であるのは間違いない。

失敗したって次の力に変えればいい

 だが、それでも壁を打ち破れない理由。長年監督として見てきた中田も、石井と同じ言葉を口にした。
「もっと自信を持てばいいのに、自信を持ち切れない。常に"失敗しちゃいけない"と怖がってしまうんです。でもそれは、失敗した自分と向き合うのが怖いから。理由を追究せず、ダメだ、悪かった、じゃなくて、失敗したって次の力に変えればいいだけのこと。それができるようになれば石井はもっとグッと伸びる選手だと思うんですよ」

「どんなプレーでも、コートの中で光れる選手になりたい」

 タイプの異なる選手が揃えば、それだけ攻撃のバリエーションが増えチームの戦力も厚みを増す。そしてそのためには、いかに安定した力を発揮し続ける選手がコートにいて、崩れず踏ん張ることができるか。現状は守備面で新鍋理沙がその役割を担うが、石井の成長こそがまさにそのカギになると中田は言う。他ならぬ石井自身も、求められる役割を理解している。
「理沙さんが攻守の要で、そこが1本あるだけでチームが落ち着いていられる。だからこそ、その柱はもう1本あったほうが強いと思うし、私がその柱になりたい。プレッシャーと感じるのではなく、自分が目指すことに対してブレずにやっていきたいです」
 日の丸をつけリオで初めて五輪のコートに立った時、感じたことのない独特の緊張感と雰囲気に興奮し、心が震えた。その喜びと、勝つ厳しさを知るからこそもう一度、あの場所へ立ちたい。そのモチベーションも、経験が与えてくれた大きな力だ。
「オリンピックに出た経験は、紗理那や愛にはない自分の武器なんだ、と自信を持って、苦しい時こそ点数を取ったり、相手に取らせない。どんなプレーでも、コートの中で光れる選手になりたいです」

もう一度、五輪の舞台へ

強い日本女子バレー復活に向け、それぞれがしのぎを削り、己を高める。それぞれの胸に「私がエースだ」と揺らがぬ覚悟を抱いて――。

女子バレー日本代表「エース」の称号を背負って

(2019年5月 取材・文:田中夕子 撮影:平野敬久)

▼動画:女子バレー日本代表からメッセージ


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