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2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
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東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2019.06.22

乙武洋匡氏が語るオリ・パラの新しい形「健常者とパラアスリート混合大会はアリか」

義足技術の進化を目の当たりにしている乙武洋匡氏は、「近い将来、パラリンピアンがオリンピアンの記録を次々と塗り替える時代が来るかもしれない」と話す。今後のオリンピックとパラリンピックの在り方とは――パラスポーツの発展に必要なことは――、乙武氏独自の視点から語ってもらった。

(インタビュー=岩本義弘 撮影=軍記ひろし)

オリンピックとパラリンピックを分ける意味は?

――乙武さんの義足プロジェクト「OTOTAKE PROJECT」の動画(https://vimeo.com/300902391)を見て、技術の進歩に衝撃を受けました。将来的にパラリンピックは「ロボコン」のような技術を競う形になっていくかもしれないですね。

乙武 「"世界一速い男"を見たいなら、パラリンピックを見てください」、「生身の肉体の勝負を見たい人は、オリンピックを見てください」。そういったすみ分けになってくる気がします。

――以前から乙武さんは、オリンピックとパラリンピックを分けずに「一緒に実施した方がいいのではないか」と主張されています。その意図を教えてください。

乙武 そもそも、オリンピック競技である柔道では、体重により階級が分かれています。理由は、60キロの男性が100キロ以上の男性と柔道で勝負をしても、よほどのこと、何かアクシデントが起こらない限り、60キロの男性が勝つのは難しい。「体重や体格が違えば、当然、体重が重い方、体が大きい方が有利です。せめて体重別である程度条件をそろえて、同じルールの同じ競技をやりましょう」ということだと思うんです。であれば、他の競技も同じで、例えば100メートル走は、100メートルを自らのベストを尽くして走りきるという競技において、健常者の部、視覚障がいの部、義足の部、車いすの部とレースを同じ大会で実施するのと、体重を分けて柔道の大会を行うのと何が違うんだろうと考えると、私にはあまり違いがなく感じられるんです。であれば、オリンピックやスポーツ大会を男性の大会と女性の大会と分けてもいいはずですし、30歳以下の大会と31歳以上の大会って分けてもいいはずです。今は障がい者と、健常者の大会とに分けられていますが、その点に必然性はないのかなと思います。

漫画家・井上雄彦先生の車いすバスケを扱った漫画『リアル』(集英社)の影響もあってか、健常者の大学生が車いすバスケのサークルを作っていると聞きます。車いすバスケは当然、パラリンピックの競技ですが、同じく道具を使ってやるスポーツであるスノーボードはオリンピック競技です。スノーボードをやる時に板を使ってスポーツをするのか、車いすを使ってスポーツをするのか、それだけの違いですよね? ところが、大会上はスノーボードを使うとオリンピックになって、車いすを使うとパラリンピックになる。大会が分かれてしまう差って何なんだろうと、考えれば考えるほど、境界線って曖昧だなと思うんですよね。そう考えたら、分けている意味がないと考える方が、むしろ自然だと思うんですよ。

――スノーボードだけでなく、スキー、カヌーなど、道具を使う競技すべてが生身ではないということになりますよね。

乙武 オリンピックとパラリンピック、健常者の大会と障がい者の大会と分けるならば、何も道具を使わない純粋に肉体だけのスポーツと、道具を使うスポーツという分け方にしてもいいかもしれない。

健常者とパラアスリート混合の大会はアリなのか

乙武 南アフリカ出身のオスカー・ピストリウスという両足義足の陸上選手は、パラリンピック界では絶対王者といわれる存在で群を抜いて速かったんです。彼は「オリンピックにも出場したい」と宣言して、念願叶い、2012年のロンドン五輪で陸上男子400メートルに出場して準決勝まで進みました。「障がいのある義足のランナーが健常者に交じってよく頑張った」と世間では美談としてすごくたたえられたんです(編集部注:その後、恋人を射殺するというセンセーショナルな事件を起こし、有罪判決を受けている)。

――義足の選手がオリンピックへ出場するということは、画期的な第一歩ですよね。

乙武 それから、ドイツのマルクス・レームという義足の走り幅跳びの選手が、国内競技大会で健常者に混じり優勝しました。優勝者には、その後に行われるヨーロッパ選手権に出場できるというルールだったのですが、レーム選手はヨーロッパ選手権への出場が認められなかったんです。「義足による跳躍は不公平ではないか」という意見が噴出したんですね。僕はこの話を聞いて論点がたくさん詰まった出来事だと思いました。ピストリウス選手は出場を認めてもらえた――なぜなら五輪でチャンピオンになることは難しい記録だったから。ところが、健常者の中に入ってチャンピオンになる可能性が出てきた場合は除外する。この違いは何なんでしょう? 自分たちの中で敗者でいてくれるなら混ぜてあげるけれど、勝者になるんだったら認められない、ということだと思うんです。

僕が障がい者の立場から斜めから見ているかどうかの判断は、皆さんに委ねたいんですけれど、この出来事は、ある意味、健常者のおごりではないかなと思います。俺らは肉体一つでやっているんだから、健常者がチャンピオンである必要があると。障がい者がチャンピオンになるのは、障がい者同士で競うのはいいけれど、俺らの中でチャンピオンになるっていうのは許せないというのは......。すべてを最初から認めなかったなら、筋は通っていると思うんです。でも、ピストリウス選手は認めて、チャンピオンになる可能性が出てきた人間は排除するっていうのは、その意味をちゃんと深掘りしていく必要があるんじゃないかと。

――本当にそうですね。これまでは議論にならなかったかもしれませんが、今後は大きな論点になりそうな感じがします。

乙武 そう思います。今後、パラリンピアンの記録がオリンピアンの記録を上回るということ、恐らく10年以内には到達すると思うんですよね。

――その時にどういう視点で物事を見るのかが世界中で試されることになりそうですね。乙武さんはどのように考えているのか聞かせてください。

乙武 やはりレースは分けた方がいいと思います。大会は一緒でいいと思うんですけど、先ほど話したとおり、体重別で競い合うように、ある程度の条件は揃えた方がいいと思っています。人間の肉体で100メートル走る人と、義足をつけて100メートル走る人とは分けた方がいいですよね。

――例えば、オリンピックとパラリンピックでエキシビションを行うのはいかがでしょうか。パラリンピアンが注目される可能性が高まり、理解が深まると思います。

乙武 おっしゃるとおり、エキシビションはありですよね。やってみたら面白いなと思う競技は、テニスですかね。例えば、テニスプレーヤーの錦織圭選手、もしくは大坂なおみ選手のどちらか1人と、プロ車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾選手と上地結衣選手のペア、健常者1人対車いす2人の試合はいったいどちらが勝つのか。対戦してみたら、どちらかが圧勝するのかもしれないですけど、想像の範囲では何とも言えません。だからこそ、純粋に見てみたいなと。


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