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東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2019.08.05

メダルの壁を壊した北京。2020日本男子リレー「東京で金」実現の鍵は

2016年リオオリンピック陸上男子 4×100mリレー(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

2020年東京オリンピックまであと1年となった。男子リレーは2008年北京オリンピックで銀メダル、リオオリンピックでも銀メダルを取り期待が高い種目の一つだ。「東京で金」実現の鍵はどこにあるのだろうか。北京オリンピック銀メダリストの朝原宣治が男子リレーの日本代表の歴史をひも解きながら解説する。

参加したアトランタオリンピックでの悔しくも苦い経験

まずは日本の「4×100m」の歴史をひも解いてみよう。戦前の1932年ロサンゼルスオリンピックでは決勝に進出し、5位入賞を果たした。1968年メキシコオリンピック後、しばらくは代表チームの派遣はなかったが、それから20年ぶりとなる1988年ソウルオリンピックでリレー日本代表派遣が復活する。その背景にはスプリント界において、世界との格差の広がりがあり、それを何とか食い止めなければいけないという思いがあった。私にとってリレーの鮮烈な記憶は1992年バルセロナオリンピックの6位入賞だ。それは、戦前のロサンゼルスオリンピックから実に60年ぶりの決勝進出だった。

1992年バルセロナオリンピックで入賞した男子リレーチーム(写真:青木紘二/アフロスポーツ)

 私が初めて日本代表オリンピックリレーチームとして参加したのは、1996年アトランタオリンピックだ。当時はバルセロナオリンピックでの快挙もあり、スプリンターの強化が積極的に行われ、リレーへの期待も大きくなっていた。私は当時、走幅跳の選手としてドイツに留学していた。一時帰国し、その年のアトランタオリンピック選考会である日本選手権に出場すると100mで当時の日本記録である10.14で優勝しオリンピック代表入りを決めた。その後、初めてリレーチームとして声がかかったが、ドイツを拠点としヨーロッパの試合をこなしながら調整を行っていた私は、なかなか短距離の代表選手合宿に顔を出せないまま本番を迎えてしまった。直前でのバトン受け渡し練習をこなしたものの、ほぼぶっつけ本番で臨んだ形となった。結果は3走の元日本記録保持者でバルセロナオリンピック入賞経験者である井上悟さんと私のバトンパスで痛恨のミスがあり敢え無く予選敗退した。その悔しくも苦い経験が私自身の長いリレー人生の歴史の幕開けだった。

1996年日本陸上競技選手権大会で走る朝原宣治(写真:山田真市/アフロ)

 翌年の1997年アテネ世界陸上選手権で、前年の雪辱を果たすべく再び決勝進出を目指した。リレーメンバーは1走 井上悟、2走 伊東浩司、3走 土江寛裕、4走 朝原宣治だった。当時、伊東さんはアトランタオリンピック準決勝まで進出した200mのスペシャリストとして実力を伸ばしており、私は3度目の100m日本記録を10.08に更新してこの試合に臨んだ。決勝進出は逃したものの、準決勝で38.31のアジア記録を達成した。ここから、リレーで目指すべくタイムはこのアジア記録更新となった。

「メダルの壁」を壊した北京オリンピック、男子短距離史上初めてのメダル獲得

2004年アテネオリンピックで走る末續慎吾(写真:アフロスポーツ)

 しかし、2007年大阪世界陸上選手権で転機が訪れる。当時、世界大会でメダルを取るためには37秒台~38秒1台が必要であり、まずは1997年に出した38.31のアジア記録を破らないといけなかった。そのような状況で、当大会ではハイレベルな争いで5位とメダルは逃したものの、38.03というメダル獲得圏内であるアジア記録を10年ぶりに更新した。

2008年北京オリンピック陸上男子 4×100mリレー表彰式(写真:ロイター/アフロ)

 北京オリンピック後、私は現役を引退し、末續選手は休養に入った。翌年からは北京リレーメンバーの髙平選手と塚原選手を中心に、若い新しいチームで世界と戦っていくこととなった。不安と期待のかかる中、新しい日本リレーチームは素晴らしいスタートを切った。これまで、幾度となく跳ね返されてきた38.31の前アジア記録の壁を難なく破って活躍していく若い選手たちを見て、彼らの中のリレータイムと世界での位置の認識が変わったことを感じた。

2012年ロンドンオリンピック 陸上男子 4×100m 決勝で走る飯塚翔太(写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ)

陸上界を驚愕させた桐生祥秀の10.01秒。世界に誇る「アンダーハンドパス」がリオの銀につながった

その翌年2013年にはその後スプリント界を引っ張っていく存在となる桐生選手が高校生ながら10.01という驚異的な記録をたたき出した。この衝撃が中学生や高校生、大学生の意識を変えることになり、トップ選手たちの100mのタイムの常識が崩れ10秒の壁を破ろうとする機運が高まっていったように思う。さらにその後、2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まったことで拍車がかかった。

そしてついに、2016年リオオリンピックで日本リレーチームは新たなステージに突入した。決勝において37秒60の世界歴代3位(当時)、アジア新記録で銀メダルを獲得した。ロンドンオリンピック後、日本を猛追してきた中国にアジア王者の牙城を崩されていた日本チームの大躍進であった。

2016年リオオリンピック 4×100mリレー決勝でのバトンパスのシーン(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

この新しいアンダーハンドパスは、日本代表合宿中に選手主動の作戦会議から生まれた。2014年アジア競技大会で中国に37秒台を先に越され、日本チーム停滞の状況を打破したい思いが募り、アンダーハンドパスの利点を残しつつ利得距離をとる新型パスとなった。2015年の世界リレーなどで試行が始まり徐々に精度が上がり、リオでの結果につながった。

「東京で金」の鍵は37秒台前半。新国立競技場で歴史は変わるか

現在、リオのメンバーに加えほかの選手も急成長を見せている。小池祐貴選手は7月のダイヤモンドリーグで9秒台を出し、一気に日本のエースに登りつめた。サニブラウン・アブデルハキーム選手も6月に9秒台を出し、フロリダ大学チームの2走としても活躍を見せる。多田修平選手も急成長を見せ、日本代表のリレーメンバーとして経験を積み結果も残している。
まだ日本代表リレーメンバーとしては経験がないサニブラウン選手が加わると、9秒台3人のリレーメンバーが組める最強のチームとなり、走力はイギリスチームと比べても遜色がなくなる。

2018年アジア大会陸上 日本代表男子リレーチームの公開練習(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

そしていよいよ東京オリンピック。日本が金メダルを取るためには37秒台前半が必要だ。それぞれの選手たちの特性を最大限に生かして思いが一つにバトンがつながれば、それは決して不可能ではない。リレーの歴史をつないできた先輩方や私たちの夢を乗せてどの国よりも速く新国立競技場のフィニッシュラインを越えて欲しい。

(文・朝原宣治)


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