ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
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誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
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ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2019.10.07

東京2020大会がもたらす「感動の瞬間」と「後の社会変化」とは

聖火台と陸上トラックスタートライン(写真:アフロ)

 オリンピック・パラリンピック(オリ・パラ)の開催まで一年を切った今、この大会は何を目指して開催されるのかについて改めて考えておきたい。基本コンセプトに掲げられた「多様性と調和」のように、オリ・パラが理念として掲げる価値を大事にすること、そして、復興五輪が掲げた「復興」の意味について今一度問い直すことが重要だ。オリ・パラは社会をどのように変えうるのか、さまざまな課題の先に見える解決策を模索する。

 オリ・パラの開催まで一年を切り、競技実施に向けたテストが始まっている。克服すべき問題が続々と出てきて、先行きは相変わらず不安視されているが、残りの準備期間にどのようなことを考えていかなければならないのか、前向きに課題を探ってみたい。

○大会の3つの基本コンセプト(ビジョン)

 オリ・パラ開催の意義、理念が見えないと招致から言われ続けここまで推移してきた。9月に開幕したラグビーW杯などを見て、大会の理念が特に問われていないことからもわかるように、オリ・パラには人びとの特別な期待が存在する。それは都市開発によるインフラの整備や競技場の新設などといった手段的なものとは根本的に異なる期待だ。
 オリンピックと平和概念の関係性は有名だが、東京大会について多くの人が真っ先に思い浮かべるのは「コンパクトな大会」だろう。肥大化するオリンピックに新たな価値観をもたらすものと期待されたが、競技場の東京都以外への拡散と経費超過によってすでに実現性はない。それでは、組織委員会が掲げた三つの基本コンセプト(「全員が自己ベスト」、「多様性と調和」、「未来への継承」)はどうだろうか。
 ここで特に注目したいのが後者の二つである。「多様性と調和」、そこには「人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など、あらゆる面での違いを肯定し、自然に受け入れ、互いに認め合うことで社会は進歩。」と書き込まれている(大会組織委員会ホームページ https://tokyo2020.org/jp/games/vision/ )。多くの人がこのフレーズに納得しつつも、隣国との関係悪化に象徴されるように、現在の社会を巡る状況はそれと真逆に進んでいると感じられるのではないだろうか。この主張にこそ、オリンピックを開催することの意義の一つがあり、今こそ前面に押し出して主張すべきコンセプトである。
「未来への継承」はもちろんレガシー(遺産)の創造と継承が意図されている。すでに明らかになっているように、大会はポジティブ(正)な遺産のみを生み出すわけではない。ネガティブ(負)な遺産をいかに減らし、ポジティブな遺産を増やすことができるのかが大会の成否を左右する。多くの人が懸念しているように、大会運営費に加え、都市開発等の間接的な経費を含めれば3兆円を超すのではないかとみられる大会経費は、負の遺産を多く生む可能性がある。しかしながら、一方で、日本や東京における競技・スポーツ環境が改善したり、バリアフリー化を促進したりするなど、人びとの実生活に役立つ投資も行われている。
 直接的な大会運営費の1兆3500億円は、テレビ放映権等の収入で半分がまかなわれ、ロンドン大会の1兆1350億円と比較しても大きすぎるというわけではない。その他の間接的な経費は全貌がわからない面もあるが、会計検査院の指摘などで、都や国の関連支出は1兆4000億円あまりとみられている。3兆円という額に目を奪われがちだが、この投資が何を生み出すのかについて、東京都や組織委員会をはじめ、もっと丁寧に説明責任を果たすことが必要である。現在はその努力が決定的に欠けているように思う。
 この額の大きさがオリンピック反対の根拠(社会福祉など、必要なところに投資すべき)になり得る一方で、無駄は生み出されていないのかをチェックしながら、それがどのような価値の創造に向けられているのかについても見ていくことが必要だろう。

○震災復興とオリ・パラ

 この大会がなぜ開かれることになったのか。理念の不足を補うかたちで登場したのが「復興オリンピック」という言葉であった。国際オリンピック委員会(IOC)に提出された申請ファイル(2012年2月)には以下のようにつづられていた。

"私たちはスポーツの力を信じている。夢、希望、目標、前向きな変化を生み出せる力を信じている。......スポーツ界の強い熱意と被災地の支持を得て、東京は2020年オリンピック・パラリンピック競技大会の招致を決意した。大会を開催することは、復興を目指す私たちにとって、明確な目標と団結をもたらし、支援を寄せてくれた全世界の人々への感謝を示す機会となる。大会の開催は、スポーツの持つ大きな力が、いかに困難に直面した人々を励まし、勇気づけるかということを世界の人々に示すことになるだろう。"

 震災後の2011年7月17日にFIFA女子W杯決勝で初優勝を遂げた女子サッカー「なでしこ」の活躍に代表されるように、震災以降繰り返されるようになった「スポーツのチカラ」の称揚と復興との関係。このことは現在どのように考えられているだろうか。復興をどのように定義するかにもよるが、未だ道半ばであると感じる人が多いだろう。一方で、東京2020大会にかけられたメッセージによってしか復興との関係を想い出すことができないほどに、震災の記憶は風化していないだろうか。また、アスリートが多くのメダルを獲得することで、被災者に勇気を与えるというのも何かが違う。スポーツの力は日常の生活があってこそのものであり、復興への推進力となってこその力である。復興というならば、「まずは人間の復興、生活の復興」(栗原彬ほか、2012、『3・11に問われて──ひとびとの経験をめぐる考察』岩波書店。)が先なのである。
 ギリシャ古代オリンピア市で採火された聖火は、2020年3月20日に宮城県にある航空自衛隊松島基地に到着し、リレーされる。2020 年3 月20 日から3 月25 日までの間、宮城県、岩手県、福島県の順番で各2 日間「復興の火」として展示される。
 聖火リレーのグランドスタートは、2020年3月26日、福島県楢葉町・広野町の「ナショナルトレーニングセンターJ ヴィレッジ」で行われ、日本全国47都道府県を駆け巡るという。「ナショナルトレーニングセンターJ ヴィレッジ」と言えば、かつてはサッカーの強化拠点の中心であったが、震災後は福島第一原発の除染作業などの中継基地となり、2019年にようやくスポーツ施設として全面営業が再開された場所である。東京2020 オリンピック聖火リレーのコンセプトは「Hope Lights Our Way」(希望の道を、つなごう。)であるが、被災地からリレーを始めることが必ずしも復興ではない。大会の始まりとともに、復興宣言が出されることが容易に想像される今、震災復興とは何をもってそう呼びうるのか、今一度考え直すことが必要である。
 オリンピック聖火リレーの詳しいスケジュールは大会組織委員会Webページに掲載あり (https://tokyo2020.org/jp/special/torch/olympic/schedule/#restoration )。

○オリンピック教育

 現在、東京都の全ての公立の幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、中等教育学校、高等学校及び特別支援学校の2,323校、978,549人(2018年5月時点)と、全国の推進校でオリ・パラ教育が実施されている。東京都教育委員会によると、オリ・パラの究極の目標である「平和でより良い世界の構築に貢献する」ことと、教育基本法などにおける目標の一つである「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」ことの親和性が強調されている。これらの教育を経て、(1)子どもたち一人一人の心と体に残る、掛け替えのないレガシー、(2)学校における取組を、大会後も長く続く教育活動として発展、(3)家庭や地域を巻き込んだ取組により、共生・共助社会が形成されるとする【オリンピック・パラリンピック教育の3つのレガシー】が生み出されるという。
 実際の中身としては、四つのプロジェクトを推進している。ボランティアへの参画をうながす「(1)東京ユースボランティア」、障害者スポーツの観戦・体験を含む「(2)スマイルプロジェクト」、アスリートと直接交流を行う「(3)夢・未来プロジェクト」、長野大会から導入された一校一国運動にあたる「(4)世界ともだちプロジェクト」があり、年間35時間をめどに授業に取り入れられている。実施期間としては、2016年度から2020年度までの5年間をかけて、段階的に深化・拡充している。
 長野大会では一校一国運動の成果が強調された一方で、上意下達的なシステムや、担当教員の過重負担が問題となった。現場教員の創造的な意識によって成果が生み出されたことは、一方で当たり障りのない義務的な活動に向けられることと裏腹の関係である。働き方改革が提唱される中で、オリ・パラ教育が重荷になっていることは紛れもない事実であろう。
 ただ一方で、冒頭の理念とも関わるが、特にオリンピックが掲げる平和思想や、創始者クーベルタンがオリンピックを超え出ることを目論んだ教育の価値を再考することができれば(和田浩一、2018、「近代オリンピックの創出とクーベルタンのオリンピズム」小路田泰直ほか編『〈ニッポン〉のオリンピック』青弓社、32-57。)、時に商業主義的な価値によって歪められたように見える現代的なオリンピックのあり方を含めて、オリ・パラを開催することの意義を改めて確認することにもつながる。「多様性と調和」の価値観に触れることができれば、64年大会がそうであったように、大会開催の一つの遺産となりうるだろう。ただし、教育における強制/自発のアンビバレントな関係がここにも横たわっていて、オリ・パラがもつ教育的価値とはそもそも何なのかを、絶対視することなく検討しておくことが不可避である。

○ポストオリ・パラを見据えた歩み

 以上見てきたように、オリ・パラの価値は批判的に論じられる言説と隣り合わせの関係を築いていることが多い。すなわち、ネガティブな価値の半面にはそれをポジティブな価値に向けていくきっかけも用意されている。これだけのメガ・イベントであるのだから、全ての人びとの理解をとりつけることは難しい。オリ・パラへの賛否を超えて言えることは、開催準備に向けて現れるさまざまな課題は(震災下にあって大会開催を呼び込んだそのこと自体も)、日本社会が抱えている構造的問題を反映していると考えれば、それらに向き合うこと(それぞれの立場で賛成すること/反対すること/議論すること)は意味のあることではないだろうか。
 また、オリ・パラが変えうる社会について思考することは、大会とともに完結するのではなく、大会後(ポストオリ・パラ)に向けられた視点から考察し続けなければならない。アスリートの祭典のみに興味を奪われることなく、その後の社会を見据えた議論をしていくことが、日本がオリ・パラを呼び込んだ最大の効用となるはずである。

(文・石坂友司)


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