ひとりひとりの2020に出会う。

2020年という、日本にとって特別な1年に向けて
スポーツを通じた絆を、
競技を支える人たちのドラマを、
世界に誇る日本の文化や芸術を、
誰もが参加できる社会貢献のあり方を、
さまざまな視点で切り取り、伝えていく。
ここでの出会いと発見を、
ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。
それが、“みんなの2020”です。

東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2018.06.12

パラ競泳・一ノ瀬メイ「しんどかった」リオでの経験をバネに、2020では表彰台を目指す

一ノ瀬メイは初めて出場したリオパラリンピックを「しんどかった」と振り返る。これまで国内外の大会で数々の記録を残してきた彼女は、悔しい経験をバネに東京で結果を残したいという。写真家の蜷川実花氏が監修する、パラアスリートのグラフィックマガジン「GO Journal」2号の発刊記念イベントでインタビューを行った。

国内で「誰かに勝ちたい」という目標はなかった

――一ノ瀬選手は、どういう経緯で水泳を始めたのですか?

一ノ瀬 家の近くに京都市障害者スポーツセンターがあって、そこに両親が連れて行ってくれました。そこで山田拓朗さんがアテネ・パラリンピックに出場したときのパラリンピック水泳の監督が働いていて、「13歳で同じ片腕が短い子が、パラリンピックに出るんだよ」と聞いて、そんな人がいるんだ、自分も目指したいなと思ったのが、初めてパラリンピックを意識したきっかけです。

「GO Journal」2号の発刊記念イベントで山田拓朗選手と

――そこから国内の大会にも出るようになったんですね。

一ノ瀬 大会では順調に結果を出せて、小学校6年生から日本選手権に出ていました。それで中2のときに日本記録を出して、特に挫折することはありませんでした。その後、アジアで銀メダルも取れたので、次はパラリンピックだなという自然な流れでした。

――国内に競い合う選手がいない中で、タイムを良くすることが目標だったと思いますが、どのように目標設定をしていたのですか?

一ノ瀬 特に日本では中2で日本記録を出していたので、国内で誰かを抜かしてやろうとか、この人に勝ちたいとか、そういう目標設定の仕方はできませんでした。常に数字でしか、目標を設定できないのは難しかったです。試合に行っても、誰かに勝ちたいとか、優勝したいではなく、このタイムを出すためにレースをするという感じだったので、戦いに行くというよりも、そのタイムを出す作業をするというイメージでした。

周囲の期待と実際の自分のギャップに苦しんだリオ大会

――2016年には、目標のパラリンピックに出場しました。その感想として「自分の実力とかけ離れた期待を背負った」と言っていましたが、どういうことですか?

一ノ瀬 当時の私の世界ランクは13位だったのですが、選考会のときから「代表」「代表」と言われていて、代表になることができてホッとしていたら、今度は「メダル」「メダル」と言われました。自分の実力は自分が一番わかっていますし、代表になる前から代表のような扱いをされたり、世界ランキングが13位だったので決勝に進むことも難しいとわかっていたのですが、周りからはメダルを期待されて、実際の自分に対して、周囲の描いている自分が何歩も先を行っていて、今までにない感覚でしんどかったなというのが正直な感覚です。

――リオでの泳ぎは、それまでと違いましたか?

一ノ瀬 国内で泳いでいるときは、誰かと競ることがなかったから、駆け引きをすることがありませんでした。レースは自分のベストを出すための作業であって、駆け引きをする相手がいなかったので、そもそも駆け引きする必要がなかったんです。でも、リオではレースでも前に人がいる状況になり、周りの空気にのまれてしまって、今までしてきたことができなくなり、自分の泳ぎが狂っていきました。周りと勝負することがなかったので、勝負心が備わっていなかったと思います。

――多くの期待を背負った中で味わったそうした苦しい経験、悔しい思いは今も生かされていますか?

一ノ瀬 そうですね。リオに向けてすごく注目をしてもらって、メディアでも取り上げていただきました。もし、それがなかったらすごく気楽な気持ちでリオに行って、パラリンピックを楽しめたかもしれません。でも、東京ではみんなに注目されて、みんなに期待されて出ることになると思うので、その意味では東京に向けての予行練習は自分が一番できたかもしれません。そう考えるとありがたかったですし、東京では結果を出さないといけないので、そこは課題だと思っています。

水泳をやっていなかったら・・・・・・

――安定して良いタイムを出すために、ルーティンワークをするのも一つの手かと思うのですが、試合前のゲン担ぎなどはありますか?

一ノ瀬 レースごとにするようなものはありませんが、大事な試合の前に母と、カツを食べに行きます。リオパラリンピックの選考会の前にもカツを食べてベストタイムを出したのですが、リオの前に同じお店で食事をしようと思って行ったら、臨時休業だったんです(笑)。母は「あのときからメイちゃんのリオは終わっていた」って言っているんですよ(笑)。

――ルーティンができなかったんですね。では、パラ水泳がなかったら、どんな人生を歩んでいるでしょうか?

一ノ瀬 生まれ変わったら、歌手になりたいんです。今は水泳をやっていますが、オーディション番組とかを見るのが好きで、歌がうまい人に憧れます。表現することが好きなので、何かの表現者になっていたでしょうね。子供の頃はバレエもやっていたのですが、たまたま中学2年生のときに水泳で日本新記録が出たので、そこから水泳に絞ってやってきましたが、もしバレエで先にうまく結果が出ていたら、そっちをやっていたと思います。

――実際に歌はうまいんですか?

一ノ瀬 カラオケは行かないんですよね。私は母の影響もあって、洋楽を聞くことが多いので、みんなが歌う歌を知らないから、カラオケでのれないんですよ。でも、イヤホンがないと生きていけないくらい音楽は好きで、出かけてイヤホンを忘れていたらすぐに買います。それに自転車に乗っているときは、基本、熱唱しているので、よく「自転車で大きな声で歌っているところにすれ違った」なんて言われます(笑)。

――リオのときは、何を聞いていたんですか?

一ノ瀬 リオのときは、聞いている曲からして調子が悪いのが伝わってくるんですけど......、ブリトニー・スピアーズの『トキシック』とホージアの『テイク・ミー・トゥ・チャーチ』という2曲を、ずっとリピートで聞いていました。

トップの選手に下からどれだけかみつけるか

――競技面でも、次のパラリンピックのときに変えたいことはありますか?

一ノ瀬 変えたいというよりは、本当に絶対的な実力がないと勝てないなと痛感しました。パラリンピックはその日の調子でうまくいくとか、あわよくばというのが絶対にない舞台で、本当に強い人が勝つし、メダルを取る場所だと思います。だから早く成長して、トップレベルになりたいなと思います。

――昨年、オーストラリアに留学したのは、そうした気持ちからですか?

一ノ瀬 そうですね。日本では競ることが本当にできなくて、勝負心が本当になかったので。自分より高いレベルの人と並んで泳いだり、生活をしたりすることで、吸収できるものは本当に多いと思います。実際に行かせてもらって、刺激だらけで学ぶことだらけでした。日本では試合がすごく少ないのですが、オーストラリアはすごく多くて年に何回も大会があるんです。そのたびに自分よりも成績が良い選手と並んで泳ぐことができて、本当に濃い時間を過ごせました。海外の選手たちイコール強いと思っていたら、負けると思うので、そういう人たちと戦うことに慣れることも大事だなと思います。

――今後の目標を聞かせてください。

一ノ瀬 今の目標は、東京パラリンピックで表彰台に上ることです。世界トップの選手に下からどれだけかみつけるかというイメージですが、2020年にはトップで戦うことができるように、今から成長スピードを上げないといけません。毎日、東京2020で結果を出すイメージを持って過ごさないといけないと思っています。

(2018年5月 取材・文:河合拓 撮影:花井智子)

<プロフィール>
一ノ瀬メイ(いちのせ・めい)
1997年京都府生まれ。近畿大学水上競技部所属。生まれつき右肘から下がない先天性右前腕欠損。中学2年時の2010年、アジアパラ競技大会に出場し、50メートル自由形で銀メダルを獲得。2016年のリオデジャネイロパラリンピックでは、100メートル自由形・S9クラスで自己ベストを更新した。


Yahoo! JAPAN
みんなの2020

スポーツや文化・芸術、社会貢献に関する、2020年に向けた「挑戦」を伝えます。 ひとりひとりが日本の未来を考えるきっかけに。それが、“みんなの2020”です。