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東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2020.02.25

スポーツクライミングにおける日本の絶対女王・野口啓代 内気だった酪農一家の少女が東京2020を目指すまで

絶対女王・野口啓代(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 東京2020から種目として採用された"スポーツクライミング"。人工壁にホールドと呼ばれる石を設置して課題(コース)を作り、その課題を選手たちは体一つで登っていく。完登した数を競う"ボルダリング"、登った高さを競う"リード"、登る速さを競う"スピード"の3種目があり、東京2020ではこの3つを複合種目とした"コンバインド"でメダルが争われる。

 このスポーツクライミングにおいて日本の絶対女王と呼ばれる選手がいる。東京2020のスポーツクライミング女子日本代表内定第1号となった野口啓代だ。彼女がなぜ絶対女王と呼ばれるのか。その理由を説明するのは難しくない。ボルダリングジャパンカップ(BJC)最多11度の優勝、ボルダリングワールドカップ(BWC)優勝21回(最多まであと1勝)、年間総合優勝は4度輝いている。初優勝した2008年から現在まで世界のトップを走り、これほど長くトップクラスに君臨し続ける選手は世界を見渡しても野口以外に存在しない。その圧倒的な実績を積み上げながら日本のみならず、世界のクライミングシーンをリードしてきた野口は日本女子クライマーのパイオニアである。対的な女王のここまでを振り返る。

世界のクライミングシーンもリードしてきた(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

内気だった酪農一家の少女から日本を背負うトップクライマーへ

 野口は茨城県・龍ケ崎市の牧場で酪農を営む一家に生まれ育ち、おてんばながら内弁慶の恥ずかしがり屋な面も持つ少女だった。そんな少女がスポーツクライミングと出会ったのは、小学5年生の頃に家族旅行で訪れたグアムだ。たまたま立ち寄ったショッピングセンターに併設されたゲームセンターにクライミングウォールがあり、その壁を牧場にある木を登るようにスイスイと登っていった。この体験をきっかけにクライミングを始めると、頭角を現したのはそれからわずか1年後に出場した全日本ユース選手権だ。

 当時、日本のクライミング人口は少なく、ユースカテゴリーは高校生や中学生も混在していた。そんな中、小学生の野口が史上最年少で優勝。「あのときはそんなに大きな大会とはわかっていなかった」と、颯爽と金メダルをさらっていく姿はまさに天才少女だった。中学時には日本代表として世界ユース選手権に出場し、選手としての階段を順調に登っていった。

 そしてシニアの国際大会出場規定を満たす16歳となる高校1年生で、2年に一度開催の世界選手権・ミュンヘン大会に初出場した。当時、日本人選手が準決勝に進むだけでもニュースとなる時代に、野口は日本勢で唯一決勝に進出。それだけにとどまらずリード種目3位で表彰台に上った。これは当時の日本人による同大会最年少でのメダル獲得という快挙だった。

 以来、活躍の場をシニアに移すと2008年にBWC・モントーバン大会で日本人女子として初優勝、2009年に日本人初のBWC年間総合優勝と次々と金字塔を打ち立てた。翌年も年間総合を連覇し、破竹の勢いで優勝回数を伸ばしながら国内大会も当たり前のように連覇を重ねていった。内気だった酪農一家の少女は、いつしか、たった一人で日本を背負って世界と戦い続けるトップクライマーに成長していた。

優勝した2010年W杯ミュンヘン大会(写真:アフロ)

大ケガで頭をよぎった「引退」 再び戦いへ駆り立てたのは東京2020

 そしてBWC優勝を18回、年間総合優勝も4回を重ねた2015年、野口はキャリアの中で初めての大ケガを負った。リハビリを続ける中、これからのことをじっくりと考える時間ができると、当時26歳の野口の頭に初めて「引退」の2文字がよぎった。

2015年のW杯ミュンヘン大会では左足にケガを負いながら戦った(写真:アフロ)

 これだけの成績を築き上げ、選手としてやり残したことはほとんどなかった。さらに長年しのぎを削ってきた各国のライバルたちも次々と引退していき、野口を戦いへと駆り立てていたものはほとんど失われていた。ここでコンペティターとしてのキャリアに幕を引いてもいいのではないか――そう思うのも自然な流れだった。

 そんな野口を再び奮い立たせた運命の2016年。8月にブラジル・リオデジャネイロで開催された国際オリンピック委員会の総会で、東京2020の追加種目にスポーツクライミングが承認されたのだ。これまで想像もしなかったオリンピックという夢の舞台への道が開かれ、間違いなくクライミングに新しい時代が訪れる。誰よりも日本のクライミング普及に尽力してきた野口にとって、ようやく巡ってきたチャンスに喜びもひとしおだった。

 夢の舞台に立ちたい一方で不安もあった。選考大会を戦う2019年は30歳、五輪本番では31歳となる。この4年の間でどれだけ成長でき、アスリートとしてのピークがどこで来るのかわからなかった。それでも自国開催のオリンピックなんて一生に一度巡ってくるかわからない。4年後の東京で引退しよう――。失いかけた活力を取り戻し、野口は覚悟を決めた。

今までの武器が通じない 過酷な"コンバインド"への挑戦

 ひと口に東京2020を目指すと言っても決して平坦な道のりではない。それどころか過酷とすら言えた。その理由は東京2020で採用されるコンバインド種目にある。スポーツクライミングはこれまで単種目でのみメダルを競い、複合種目のない世界だった。ボルダリングを主戦場としながらリードでも第一線で活躍してきた野口は、スピードだけほぼ未経験の領域だった。

登る速さを競う"スピード"(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 「同じクライミングなのだから問題ないのでは」と思う人もいるかもしれない。しかし、スピードはボルダリングやリードとは必要なテクニックもフィジカルも違い、一から習得する必要がある全くの別競技と言えた。例えるなら、「スーパーマリオ」と「マリオカート」くらいの違いがある。スピードは専門性が高く、五輪を目指す選手の多くがほぼ未経験というのは同じ状況ではある。ただ、そのほとんどが10代や20代前半の伸び盛りの若手選手。20代後半のキャリア終盤で、選手として完成の域にある野口とは伸びしろも吸収力も違った。

 さらに野口はスピードに必要な瞬発系の動きを苦手とし、逆に武器にしてきた柔軟性とホールドを掴む"保持力"がスピードにおいてアドバンテージにはならなかった。無謀な挑戦に思えるが、スピードは東京2020を目指すには避けては通れない道である。当然、他の2種目のトレーニングも怠るわけにはいかない。スピードの習得と2種目のベースアップという、五輪への過酷な挑戦が始まった。

"コンバインド"への勝ち筋みつけるも、危機感を募らせた2018年の世界選手権

 野口のコンバインド初挑戦は2018年6月の第1回コンバインドジャパンカップ(CJC)。課題のスピードは直前5月のクライミングワールドカップ泰安大会で12.730秒というタイムで39人中35位だった。ワールドカップはスペシャリスト揃いのため順位はあまり気にする必要はないが、五輪内定争いでライバルとなる野中生萌が9.420秒と、野口と3秒近い差のタイムを叩き出した。スピードでは野中に対して明らかに分が悪かった。

 迎えたCJC決勝、第1種目・スピードで3位とやや出遅れる。しかし、第2種目・ボルダリングで1位、第3種目・リードで2位と見事に巻き返して初代女王の座に就いた。この大会から野口の理想の勝ち方が見えた。コンバインドは各種目の順位を掛け算した数をポイントとし、その数が一番少ない選手の優勝となる。つまり苦手なスピードで落とした順位をボルダリングとリードで巻き返す。これが勝ち筋だった。

 しかし、そう簡単にいかないことを9月の世界選手権で思い知らされる。コンバインド決勝のスピードで6人中6位は想定内だったが、次のボルダリングを3位と取りこぼし、最後のリードでも3位。後半で巻き返すことができず、総合4位で表彰台を逃す結果となった。得意のボルダリングで少しでも取りこぼすと逆転はもう難しかった。「このままでは上位に勝てない」とスピードだけでなく、3種目ともにレベルアップが必要だと危機感を募らせる世界選手権となった。

2018年の世界選手権複合種目はリードでも3位の結果となった(写真:アフロ)

強力なライバル、ヤンヤ・ガンブレットの存在

 2019年は東京2020のスポーツクライミング最初の選考大会となる8月の世界選手権がある。五輪を目指すすべての選手はここに照準を合わせていた。そんな中、5月に前哨戦となる第2回CJCが開催された。世界選手権での代表内定は決勝の上位7人に与えられ、その7人に日本人が2人以上入った場合、最上位の1人に与えられることになっていた。つまりこのCJCは日本の代表内定を占う上で重要な一戦だった。

 そこで野口は連覇を逃す2位となった。敗因はボルダリングで1位を逃したことだった。「3種目ともバランス良く仕上がってきているが、どれも1位には届かなかった」と、スピード3位、ボルダリング2位、リード2位とどれも悪くなかった。ただ、コンバインドで上位を狙うには最も得意とするボルダリングでの1位が必要だった。

 そして運命を決める世界選手権。順調に予選を突破し、コンバインド女子決勝8人に日本人は野口を含め4人も残った。野口は日本人最上位はもちろんだが、最後の世界選手権で初の優勝も狙っていた。それは数少ないやり残したことの一つだった。ただ、そこには強力なライバルがいた。スロベニア代表のヤンヤ・ガンブレットだ。

スロベニア代表のヤンヤ・ガンブレット(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 若干20歳のヤンヤは2019シーズンのBWC全6戦すべてで優勝というスポーツクライミング界初の偉業を達成した。さらにリードにおいても2016年から年間総合を3連覇し、野口にして「歴代これほど強かった選手はいない」と言わしめるほど、ヤンヤは2種目において最強のクライマーだった。

 コンバインド決勝、第1種目のスピードで野口は7位スタート。そして勝負の命運を握る第2種目のボルダリングで、このシーズン一度も勝てなかったヤンヤに競り勝ち1位を獲得した。メダルの色を決する最終種目のリードで野口はゴールまであと一手と迫り、3位となった。総合順位は僅差で2位、優勝はやはりヤンヤだった。ただ、最後の一手が届いていれば野口の優勝という稀に見る接戦となった。

 優勝は逃したものの日本人最上位となり、東京2020のスポーツクライミング女子日本代表内定第1号を決めた野口。じつはここで代表内定が取れなかったらこの世界選手権で引退しようと心に決めていた。それほどの覚悟を持って臨んでいたのだ。そして「東京で引退」という決意で歩んだ3年間の末、その夢の舞台への切符を掴み取ることができた。

2019年世界選手権で東京2020のスポーツクライミング女子日本代表内定第1号を決めた(写真:田村翔/アフロスポーツ)

 代表内定とともに野口はもう一つ掴んだものがあった。「コンバインドの金メダルは勝手にすごく遠いものだと思い込んでいた。でも今大会で案外手の届くところにあるんだと思うことができた」。それは金メダルへの可能性だった。ヤンヤは確かに超え難き最強のライバルである。けれど、東京2020は野口にとって最初で最後の大舞台だ。日本人のパイオニアとして、また絶対女王として歩んだクライミング人生20年。そのキャリアのすべてをかけて、野口はオリンピックの頂に手をかけようとしている。

(文・篠幸彦)


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