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東京2020オリンピック・パラリンピック開催まで

2018.06.21

「自分の限界を見たい」パラ競泳・山田拓朗が東京への挑戦を語る

13歳のときにアテネパラリンピックに初出場し、25歳で出場したリオパラリンピックで銅メダルを獲得。山田拓朗は、常に世界を意識して戦ってきた。東京を見据えて、彼は何を思うのか。写真家の蜷川実花氏が監修する、パラアスリートのグラフィックマガジン「GO Journal」2号の発刊記念イベントでインタビューを行った。

今は2年前のメダルを持ち歩くのがいやになった

――リオから2年がたち、メダルへの思いは変化しましたか?

山田 リオ大会の前から次の東京大会を目指すことを決めていました。その意味ではリオでメダルを取ることができて、自分の中では落ち着いて次に向けてさらに大きなチャレンジができるという気持ちにはなりました。ただ、いまだにイベントなどで「リオのメダルを持ってきてほしい」と言われるんですよね。メダルを取る前は、ものすごく欲しかったのですが、今は2年前のメダルを持ち歩くのがいやになったというか、そろそろ新しいところに行きたい気持ちが強くなりましたね。

「GO Journal」2号の発刊記念イベントにて

――次回のパラリンピックは東京で開催されます。過去4度パラリンピックに出場している山田選手から見て、選手たちの意識は変わってきていますか?

山田 東京でやる以上、選手としてどうしても出たい大会になると思いますが、同時に東京開催が決まり、オリンピックだけではなく、パラリンピックにもいろいろな予算が付き、環境が良くなりました。それ自体はありがたいことですし、悪いことでもありません。でも、そこに甘えているというか、僕はマイナースポーツの中でどれだけ自分のものを勝ち取れるかという感覚やハングリー精神もパラスポーツの魅力だと感じているのですが、そうしたところは感覚的に薄れていると感じます。

メダルの色よりも「自分の限界を見たい」

――常に世界を意識して戦ってこられた中で、山田選手自身はぶれていませんか?

山田 そうですね。僕の感覚では全く変わりません。周りがどうであれ、自分がやりたいことをやっている意識が強いです。これまでもですが、とにかく自分の限界を見たいという、ただそれだけでやっていて、東京でメダルを取って生活を変えるとか、そういうことはあまり考えていません。どちらかというと、自分が辞めるタイミングで「出し切った」と納得できるパフォーマンスが出せるように準備をしているのですが、それが自分の中ではまだできていないから続けています。もちろん次のパラリンピックが東京開催じゃなかったら、現役を続けていたかはわかりませんし、東京に決まったことで僕自身も出たい気持ちもありますが、僕自身の取り組み自体は何も変わりません。

――具体的には、自分のベストタイムを上回ることに注力していくのですか?

山田 そうですね。メダルの色というより、まずは自己ベストを更新して、納得できるかどうか。自己ベストを更新して「もうこれ以上は出せない」というくらいのパフォーマンスを出せたのなら、それでメダルに届かなくても悔いはないかなと思っています。

――リオではベストタイムを出しましたが、そのときの泳ぎにこだわらないと言っていました。泳ぎのフォームをガラッと変えることも、あり得るのでしょうか?

山田 ある程度、泳ぎは固まってきているので、見てあからさまに違うなとか、そのレベルの変化はないと思います。ただ感覚の中では、かなり大幅な変更をすることもあります。特に今はいろいろ試せる時期だと思っているので、これまでやったことのないことにも積極的にチャレンジします。そういうことを繰り返して、良かったこと、悪かったことを自分の中で蓄積して、来年の世界選手権あたりでどういう形で東京の本番に向かうかを決めて、残り1年で精度を高めていくという感覚です。

――パラリンピックで一番のピークに持っていくために、逆算していくのですか?

山田 精神的にも良い形で本番を迎えるためには、来年の世界選手権の成績が非常に重要です。でも仮にそこの成績が悪くても、さほど気にしません。希望としては世界選手権くらいまでに、ある程度は形にしたいですが、とにかく目標は東京大会。東京の本番の決勝の一本しか見ていませんし、そこまでの失敗は気にしません。

健常者と一緒に練習することは、特別なことではない

――水泳や陸上というタイムと戦う競技は、孤独な戦いだと思います。これだけ長いキャリアの中で、タイムが伸びないなどの壁に当たったことはどれくらいありましたか?

山田 小さい頃から選手コースに入って、オリンピックを目指す子供たちと同じ内容の練習を片腕でやっていました。それはパラの世界では圧倒的な練習量なので、記録は伸びていきます。でも、そのせいでオーバーワークになったり、肩をケガしたこともありました。大学に進学するときは、北京オリンピックの結果を受けて、「ロンドンで活躍するためには何かを大きく変えないといけない」と感じ、地元の関西を出て関東の大学でチャレンジしたいと思いました。ある程度まで成長すると基本的に記録はあまり伸びませんし、大学在学中も50メートルで自己ベストを更新したのは、ロンドン・パラリンピックの予選と決勝を含めて3回くらいです。すべてがうまくいったわけではありませんが、そういうチャレンジを決断して感じたこともありますし、見えたこともたくさんあります。その意味では壁とは思いませんが、楽しくない、つらい時期は多かった......というか、ほとんどですよね。

――筑波大学でも、健常者のトップアスリートと一緒に活動していました。それはすごい財産だと思いますが、海外でもそういう選手は少数派なのですか?

山田 海外の詳しい状況はわかりませんが、日本よりも健常者のアスリートと障害を持ったアスリートが一緒にトレーニングする環境は多いので、日本が特に遅れているのかなと思うことはあります。でも、僕がイメージしているのは、日本のパラスポーツではなく、あくまで世界で勝負するところ。そういう基準で考えると、自分が特別なことをしていると思いませんし、最低限それくらいはできないと話にならないと考えています。

――日本にそのような意識でやっている選手は、他にいるのでしょうか?

山田 他の人のことはあまりわかりませんが、特にパラリンピックの水泳に関しては、メダルを取っているのは重度の障害を持つ選手が多いんです。重度の障害になればなるほど競技人口も少なくなりますし、競争率も下がります。過去のメダリストのクラスを見てもらえればわかると思いますが、軽度のクラスで勝負をすることは本当に難しい。そこで日本が勝負できていないのは、強化の基準、考え方が世界基準ではないからだと思います。

――その考え方に至ったのは、子供の頃から健常者と一緒に練習をしていたことが大きいのでしょうか?

山田 そうですね。明らかに厳しい競争を勝ち抜かないと上にいけない世界です。小さい頃は、片腕であっても一緒に練習している仲間に負けたくなかったし、『片腕でオリンピックに出られたらカッコいいな』と思っていました。大学でもオリンピックの代表をはじめ、世界の舞台が目の前にある選手たちが、そこに向かうためのトレーニングをしていました。その中で過ごせたことは、自分の精神的な部分、考え方の部分で、日本のパラの基準ではなく、常に世界で勝負するために必要なレベルをキープできた大きな要因だと思います。

――いつ頃からそう考え始めたのでしょうか?

山田 強く意識し始めたのは、大学時代です。中学、高校までも意識しないことはありませんでしたが、とにかく練習量が異常に多かったので、それで勝手に結果が出ていました。大学に行くと、今度は基本的なレベルがはるかに高いのに、それでも代表になれない選手がほとんどです。健常者の世界で上に行くことの難しさを間近で見ました。自分の過去の成績や、世界で表彰台に上るという目標を考えた時に、自分の姿も周りから見られるので、そこに見合う取り組みをしないといけないと思いました。目標としては、僕の方が高いところを目指しているのだから、周りにいる部員よりつらいことをして当然だろうと考えられるようになりましたね。自分が適当なことをしていたら、たいしたことがないとバレるんです。自分はパラリンピックに2回出ていて、決勝にも残って、世界選手権でも表彰台に1回上がっていて......と周囲は見ているので、たいしたことがないと思われたくありません。

――今後の目標は?

山田 とにかく自己ベストを出すことです。リオで初めてメダルを取れて、自己ベストでしたが、目標としていたタイムには届かずに、悔しさが残りました。次の東京ではすべてを出し切り、イチかバチかの大勝負をして、自分が満足のいく結果を出したいと思っています。

(2018年5月 取材・文:岩本義弘 撮影:花井智子)

<プロフィール>
山田拓朗(やまだ・たくろう)
1991年兵庫県生まれ。NTTドコモ所属。生まれつき左肘から下がない左先天性前腕亡失。3歳から水泳を始め、2004年アテネパラリンピックから4大会連続で競泳の日本代表としてパラリンピックに出場。2016年のリオデジャネイロパラリンピックでは50メートル・S9クラスで銅メダルを獲得。


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